特殊で特別

このタイトルで私が尤氏長寿養生功を教えているから私が特殊で特別な世に知られた人間である、と言う話をする訳では無い。私が以前教えて道場を任せた者が何を勘違いしたものか、急にセレブが、セレブが、と言い始めて私と一緒にテレビに映ったことがよほど気に入ったようで自分が特殊で特別なまるで芸能人にでもなったような口ぶりであった。カネの為なら身内でさえも売るような人間がセレブと言ったならば、真面目にやってるセレブもかたなしであろう。箸にも棒にもかからない者が芸人になって有名になりカネが手に入って一般人を見くだすようにそんな言動を繰り返す者が武道を教えたら、一体何を基盤にして何を教えようと言うのだろうか?同じようにモデルになったことと教員資格を取ったことを特殊で特別に思っていたオンナがまたもやニセモノ瞑想大先生になって道場を開けたのではあった。確かにその行動は醜く、特殊で特別な者たちではある。なぜ特殊で特別になりたいのかは、本人たちの生い立ちと境遇にあることだけは私が理解している。他人に迷惑をかけて有名になってカネを儲けたいと思うことは、そして盗っ人のような行動を取ることはやはりこのニセモノたちは特殊で特別な輩であった。一度道を踏み外せば、元に戻ることはとても難しい。イケメン、美人、チャンピオンにモデルに教員資格、これらは私にとってこの世では全くの無縁なモノであるが、私の毎日は楽しく嬉しい幸せなものである。コロナも来い!ニセモノも来い!貧困も来い!である。そんなもので私の心を動かすことはできない。