目線と差別

目線と差別には関係があって、人の上に立つ、立ちたい願望を持つ者は、修行の足りぬ者ほど権威をかざして下の者を見る目線を下に向け、下の者を軽く考えているように思える。私が少林寺拳法をしていた時に先輩だから、道院長だからと言って、特殊な人間だと思う者がいて、閉口したのを覚えている。そんな経験をした私は目線を下に向けたことはない。下の者を、利用するべき人間でしかもカネの有る無しで差別する卑屈で恥ずべき者には人の上に立つ資格はない。カネの無い私に見えないところで差別する、こんなとんでもない指導者を見たことがある。こんな状況状態を私は変えたいと思う。明治以来、日本は身分制度を廃して能力主義となったが拝金主義となってしまった。差別の時代は続いている。新たな差別の対象はカネの有る無しに変わった現代において、黒人への差別が取り払われようとしている。心が高貴であるか、心が卑しいか、で新しい価値観の身分制度が産まれたら世の中は少しでも前進するだろう。まだまだ人間社会は発展途上にある。黒人への差別を撤廃しようとする意識は理想へ向けた階段を一段ステップアップしたとは言えないだろうか?