究める一技

中国内家拳では、一つのワザを毎日、毎日徹底的に訓練して他の多くのワザには執着しない傾向がある。一技は千技に勝ると言う意味の言葉が残されている。剣道に於いても、身体の小さな剣士が相手に届き易いワザである突きだけを磨いてこのワザなら誰にでも勝てる自信のあるワザを研究する。柔道でも同じで一つのワザを研究してどんなに大きい相手であっても投げることができるワザを持ってオリンピックの試合に向かうはずである。尤氏長寿養生功には試合がないので私は基本功に専念した。私のサイズの身体で最大最強の脚腰の筋肉を作ろうと努力した。初めから筋肉をつけることを考えた訳ではなく、何気なく行ったタヒチで言われた言葉にヒントを得て思いついたのである。太田さん、ウェイトトレーニングか何かやってるんでしょう?と言われて気付かされたのであった。あ、そうか、震脚ジャンプをする目的がこういうことであった。最速で脚腰のチカラをつけることができる。尤氏の画期的なシステムだった。これに気づいた後には意識してそうするように努力した。そこから先は練習が楽しく上達は群を抜いて筆頭の道場生となった。戦闘としてなら相手を倒すワザに専念するだろうが、あくまで尤氏の目的は氣の開発であるから私自身の下半身の強化に努めた。その甲斐あってついに、勁空勁は自分のモノになったのであった。この場合には究める一技では無く、究める身体と言うことになるだろうか?身体もワザも尤氏に於いては同じことである。ワザは身体ができていなければできる訳も無い。強いワザには強い身体が必須である。鍼灸師など東洋医学に携わる者たちも病いに勝つチカラをつけたいと願うなら、強い身体を作るべきである。私について言えば、私は古希を過ぎたが私の下半身は若い者に負けぬほどのチカラを擁している。