匠の世界

真に匠と言われる世界を知る人間の弟子入りしてその世界を垣間見た者は数少ない。特に中国内家拳の王向斎老師を知る最後の人は師母ただ一人であった。その師母に三十年のあいだ、一対一の訓練を授かった者は私ただ一人であったと思う。王向斎老師の弟子だけでは無く、ドクター尤老師の妻としても、毎日尤老師の練習相手となっていた方でもある。この希少な体験をすることの価値を理解した私は、師母が亡くなるまで側に従いて話だけでもたくさん聴いて後世に残して置きたいと考えた。その判断は間違いではなかった。匠と言われる人は、大体は短気で怒りっぽく、いつも叱りつける。他の大男のアメリカ人であっても涙を流す者もいた。私の妻も、一度叱られたことがある。後で泣いていたから、私が慰めて、師母はこの世界では唯一の匠で全てを知る師匠だから、ただ叱られろ、と言って、それも修行の一部なのだと言って収まったのであった。私は最初からこっぴどく叱られているので、慣れてしまいどんなに叱られても免疫がついてあ、また叱ってるなあ、と平気で師母の顔を眺めるだけである。何も悪いことをした訳ではなかったから謝りもしない。ただ次の機会の練習ではもっとうまくやろうと思う負けん気だけがメラメラと燃えるのであった。師母はご主人であるドクター尤老師を亡くした後、ただ一人で尤氏長寿養生功を守る立場であるから相談する人も無く、イライラしていたのかも知れない。知れば知るほど凄い訓練を世界一の師匠から長年のあいだ受けているのが分かり師母の一挙手一投足をマネした。ある日に私が通氣を受けた時にはミッツの動き、歩き方、顔まで師母に似ている、と言われるようになった。匠の世界を引き継ぐことは、歌舞伎の師である父親から受け継ぐことに似たものだろう。有無を言わせず、ただやれ!ただマネしろ!と言う世界である。空海が青果和尚から胎蔵界金剛界を受け継いだ時にも器に水を一滴も残さず、漏らさず、移し替えるように全てを引き継ぐことであった。特に尤氏長寿養生功密教の瞑想でもあるので、同じようなことが行われる。一対一の訓練が大事だと思われる。その作業の中で人物のチェックがあり、適性がある者に受け継がせることとなる。私は匠と言われるまでには未だ至ってはいないのであるが、王向斎老師、ドクター尤老師、師母、と続く修行体系を守る大きな責任が私にはある。だから、この修行体系と秩序を乱す者たちに師母のように厳しく叱り、不節操な行為に対して怒るのである。