氣は人類の為に

氣が日本で取り沙汰されて、テレビの視聴率を上げるのに役立つと思われて氣の不思議な現象は取り上げられて来た。それ以来、私は多くの数えきれないほどの患者に治療を施して来た。結果、ほとんどの患者はその恩恵を受けて完治したり、少なくとも改善されたりしたのであった。今でも治療は続けているが、私だけでは無く、太田氣功道場長の水足医師も統合医療に応用して、ガン患者や難病患者の改善、完治に役立っている。鍼灸が  WHO  世界保健機関に医学医療として認められている事実で理解できるように氣、氣功も医療として認められて国からの研究費で研究される時代が来ている、と私は考える。私のように個人で道場や診療所を開いて触れずに人を投げたり西洋医学でサジを投げた患者の治療に成功するだけでは人類の為、と言う大きな目的は果たせない。私は日本の医療医学に歯がゆい想いを持っている。今まで何人もの脳梗塞後遺症や難病患者の改善、完治に成功している。が、人々は未だに氣の存在すら信じてはいないようである。医学としてWHO に認められている鍼灸が日本では国民保険でカバーしていない。アメリカでは何年も前から保険適用されている。それが医療費削減に役だっている。アメリカの内科医が脅威を感じているにも関わらずにである。内科医が扱う分野を鍼灸が対処できる。日本の医学界では自由な発想と対応は無く、自由が縛られている感が私にはある。これは日本だけでは無く、アメリカでも同じことは起きた。私の患者が鍼で痛みをコントロールしている、とかかりつけの医師に言ったところ、即座にそんな治療は認めない!と言われたそうである。治療にも表と裏があり、世界は広く、医学も同様に広いことを知らないようである。しかし、アメリカの若い医師たちは鍼灸中国医学は有効であると考えるようになっている。薬もあまり簡単に処方しなくなっている。副作用を心配しているようになった。大きな変わりようである。医学も昔とは違うのだ。氣は明らかに医療として効果的である。何度もその効果を確認している。氣が中国で文明が始まった頃から王や皇帝の健康長寿に用いられたものが何千年もの人体実験を重ねて現在に至っている。数人の為に存在していたものを現代では一般庶民でも訓練できるようになった。人類の遺産となって氣は人類の為に存在することになっている。これを医療として扱わない方がおかしいことではないかと思う次第である。