大周天

道教系の氣功では小周天と言い、身体の正中線の経路を使って会陰と言う肛門の近くのツボからスタートして頭頂のツボ百会に向けて氣を巡らす瞑想や運動をして武術的、医術的効果を高めるようにしている。それに反して、我々の尤氏長寿養生功では、仏教式の大周天と言う氣の巡らし方をする。仏教式の大周天は氣を宇宙の天から氣を頭頂の百会から取り入れて下へ、下へと降ろして足の裏のツボである湧泉から氣を出してまた宇宙、天へと戻して同じ巡らし方を繰り返す。この小周天と大周天の差は非常に大きいものとなる。確かに小周天では氣を早く使える時期は早まるようである。が大周天では時間はかかるが、そのチカラは小周天の氣を凌駕するようである。以前大阪で開いた道場には小周天系の道教式氣功から挑戦的な態度で私の道場に入門して来た者たちが何人も私に氣で勝負を求めてやって来たのであった。氣を上にいつも上げている者ばかりであるから、対氣して手を合わせて私を飛ばそうとしても私の氣はいつも下にあるので私はびくともしない。逆にあちらは上に吹っ飛び壁にブチ当たりゴロゴロ転がっている。何遍やっても同じことである。空手の師範と名乗る者、日本拳法のチャンピオンが集まり、入門したその日に私に触れずに投げられていた。テレビを見て集まった者たちがテレビで見た通りの現象の再現を体験していたのであった。全国放送で取り上げられていたので何百人という道場生が集まったのであった。大は小を兼ねる、と言うがその通りになった。彼らは私が押しても引いても彼らをコントロールできるから驚いていた。彼らは押すことでしか相手に氣で影響を及ぼすことしかできなかった。上に氣を上げようとする者が下へ下げている氣が身体に充満している者を上に上げることはできぬことを知らなかったようである。上には上がある。日本は狭い国であるのでそんな場所で氣で他人を飛ばすことができる、と自分は強いと自慢していると新たな上のシステムが現れる。井の中の蛙になっていると外から何十年も修行した者が凌駕する。私の修行は今でも止まらずに続いているのである。大周天の氣の流れは日々強く重くなっている。