祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり、の始まりで有名な平家物語であるが、人は誰であっても死ぬ。誰もが嫌がる死について考えることは生について考えさせられることにもなる。私が講習会の初めに話すことは仏教の生老病死の四大苦を話題にしている。人生の真理をたったの四文字で表している。日本人が他の外国人に比べて災害に遭っても落ち着いて行動するのは災害に遭う機会が多いだけではないだろう。仏教や神道の教えの影響が大きいからでもあるのではないだろうか?尤氏氣功は老いることと病むことを遅らせる働きがある。たとえ、病気になっても、老いが訪れたとしても私が熊本で治療した患者が100%その場で改善即治したことから理解できるように、高齢の患者が痛み消失して歩けなかった患者が歩き始めた事実から分かるように老、病に対してなんとか対処できるのである。現代の最新医学を学ぶ医師たちが唖然とする結果をもたらすことが尤氏氣功整体の特徴である。耳に打つ小さな鍼の置鍼のみで歩けなかった患者が歩き出す。痛みがあった患者も痛みは消えてしまう。死んだ患者が生き返ることだけはないが、死期を遅らせることはできるようである。私の師欧陽敏師母は100歳を有に超えて亡くなったので、私はあと五十年も生きて師母の長寿を抜いて後に続きたいと願って毎日を真剣に生きているのである。食を見直して一食を確実に抜き、時には二食を抜いて高血圧であった私が飲んでいた血圧の薬を飲むことを辞めてしまった。私はどうも血が固まり易い体質であるらしい。己れを良く知れば、百の病いも遠ざけられる。また病氣になったとしても、健康体に戻る方法はある。私の通っていたデイケアと自宅に来てもらっていたリハビリも辞めてしまった。時間とお金が無駄だと思ったからである。元に戻る時間が遅いのと完治させる考えが無いことが分かったのである。私はデイケアで受け身をデイケアにあったマットの上で練習していたら叱られてしまった。ケガをしたら責任問題になることを恐れたのである。私はデイケアで嫌われていたようである。ヨボヨボのジジババを集めて子どもでもしないような遊びでみんなで拍手して褒め合うことなど私にはとてもできないシロモノである。金と時間が無駄だと思った。リハビリも私のやり方に変えてから極端に良くなって来た。私が尤氏氣功をしていなかったならば、私は集中治療室で二、三回死んでいただろう。いづれの場合でも私一人が生還して他の患者はICU を生きて出ることができなかった。尤氏氣功が私を助けてくれたのである。死をも遠ざける。私の人生は現在生きていることが楽しく嬉しく幸せなものとなって熊本まで一人で飛行機に乗って出かけたり、今日曜日には一人で電車に乗って千葉の会場がある駅まで一人で行くことができるようになっている。身体障害者であっても自立して元気に健康で好きなことができる幸せな毎日を過ごしているのである。