電気治療器と初回効果

清水の舞台から飛び降りるつもりで大枚を叩いて、電気治療器を買って長年苦しんで来た左脚の痛みと痺れを解消する為と私が氣功整体講習会で歩けぬ患者が押し寄せて一人の患者に没頭している時にもう一人の患者に使ってもらう為の目的での行為であった。あまり使用方法も分からないうちから痛みと痺れのある箇所が鬱血を起こしていて皮膚が変色しているところを中心に治療パッドを置いていわゆるIMSと言われる微弱電流を流して血液の循環を良くする電気マッサージ器のようなものである。筋肉内の深部まで電気が流れて経絡の中を流れる氣にまで働きかけるようで昨日夜遅くまで使ってみた。今朝早く起きて様子を見てみると、朝方に起きた時の脚の重さ、痛み、痺れがとても軽いので効果はあったようである。劇的な変化ということほどではないが、痛みと痺れがそんなにも氣にならない。ようし、これを毎日使ってやろうと意気込んで今も使用しながらこのブログ記事を書いている。あまり長いあいだ使用すると副作用や不具合が起きるのを防ぐために十五分で自動的に電源が止まるようになっている。子どもが欲しいオモチャを買ってもらったようにあっちをいじりこっちを触りしながら使い方も少しずつ慣れて来た。最初だけ恐る恐る電流を少しずつ上げていたが、今では刺激に慣れてしまってマックスのところまでツマミに回して最大限の電流を流している。足指がそれにつれて小刻みに震えている。以前にもアメリカの私の診療所で打った鍼に微弱電流を流すこともしていたのである程度知識はあった。鍼の先に流す電流よりももっと微弱なもので柔らかく感じる。この電気治療器を使い最後に残っている古い血液や水の塊を流すことによって最後に残っている痛みと痺れを解消できればもっと歩き易くなるのではないか?と期待しているのである。私の氣功整体を受けた患者は全員初回の初診で良くなったのでこの電気治療器を使えば、更なる効果を期待できると思われる。いつも私自身を実験台にして効果のほどを試してみるのだ。漢方薬も一つひとつの漢方薬を煮て煎じて飲んで全ての漢方薬の味と効果を確かめていたのを思い出す。漢方薬も拮抗する場合があるから私の具合が悪くなった時もある。いわゆるお毒見役である。安い漢方薬からとても高い漢方薬まで全部試した。中国の農民たちに経済的効果をもたらす貢献をしていたと思われる。どっちにせよ、さんざん苦しみ悩まされた左脚の痛みと痺れからの解放は歓迎されるべきものである。これで杖を使わずとも歩けるようになるかも知れない。この後には六年ほど歩けなかった左脚の筋肉は細くなっているので筋肉を元に戻すべく筋力トレーニングをしないといけない。つい先日三十センチの高さのイスを買ってそのイスからの立ち上がりを繰り返す運動はしていたのである。引きこもっている家では自主リハビリトレーニングが我々身体障害者の訓練場である。この次の大枚をはたくリハビリの買い物は筋肉を太くする為のスパの会員権か?以前にも言っていたように長年訓練した氣功で鍛えた身体は細胞のひとつひとつまで変化したようでどんなサプリや治療も初回効果のほどはとても大きくすぐに効果を確認できる。帰国後すぐに飲んだ水素水では一杯のコップに注いだものを飲んだ翌日には拘縮した肩の痛みが消えたので試しにグルグル回したら痛みが無いのでゴキゴキ音がしたのであるが、構うものか!と一日中回し続けたら、完治してしまった。私の身体はちょっとしただけのものに反応して治るようになっているようである。

師走

いよいよ今年も終わりの月の十二月に突入した。コロナ禍で世界がすっかり変わってしまった。そんなこととは関係なく時は過ぎて行く。火宅無常の人生も移り変わるのが自然の摂理で真理でもある。我々尤氏長寿養生功宝寿会太田氣功道場も変遷しながら、常に前進を続けている。氣功整体を新たに太田氣功道場を推進するチカラに変えて尤氏長寿養生功を日本、世界に広める為に私の住む街の中にある古い倉庫を改造して日本、世界の常設の本部道場にする計画が浮上して来ている。来年にも詳しい計画を公表できるものと思われる。全てのことは無常であって変化せねば、同じままであっては固まって崩壊を待つばかりとなる。氣は発展拡大するエネルギーである。一度氣を発したならば、弓で矢を射るように矢は何処かに当たるまで止まらない。的の金的、真ん中を狙って打った矢が目的の場所に当たることを願って我々は来年更なる前進を遂げて行く。コロナによって邪魔されてはいるが、幸い、定期講習会は相変わらず毎月開催されており、こんな状況下であっても氣功整体講習会も今年は二回開くことができたのであった。来年には五月に大阪で開催決定がされている。また六月以降にも私がアメリカカリフォルニアに私的な招待を受けて友人の治療で渡米する予定ともなっている。何かが動き始めている。変化が起きていることから何か新しいことが始まって行く。世界に羽ばたく予兆である、と理解したい。私はタヒチに本拠地を築き世界に進出する計画を立てていたが、日本に本部道場ができれば日本残留も視野に入れずにはいられないことになるだろう。人生は無常火宅であって変化するのが常であり、真理でもある。

根性

性格とも関係のある根性は面白いものである。もっとも、根性という言葉を聞くと根性悪い、根性無し、という言葉を思い出す。あまり根性良し!とは言わないようである。根性がある!は苦難に立ち向かう姿を現してものごとをやり遂げるイメージがある。氣功習得には根性無しと悪い根性の者たちには似合わないものである。ニセモノたちは訓練を嫌い、道場生を裏切って自分一人の成功を求めて誰もが望まぬ道場を勝手に自分で開ける醜い行為はみんなの眉をしかめさせることだった。根性無しの、悪い根性で開けた道場での氣功教授はやはり根性無しで悪い根性の生徒への受け渡しになるのだろうか?朱に交われば赤くなる!類は友を呼ぶ!これは真理であることは私が私の携わった武道を通しても感じたものである。結果として人間の行動の最後まで見なければ根性の良し悪しは分からない。

芸術は爆発だ!爆発は氣だ!

ある芸術家は、芸術は爆発だ!と言ったが私は爆発は氣だ!と言いたい。芸術に限らず、どんな人間の活動も自己表現から来るものであり、その表現する根本の源のチカラ、エネルギーこそが氣だからである。氣無くては何もできない。東洋医学の根源は氣であって、陰気と陽気の両方のエネルギーが崩壊した時に死が訪れると言われている。氣を充分に養成して置いた時に爆発が起きる。爆発的なエネルギーが芸術を生み出すのである。氣を訓練して初めてものごとの根本の源が理解できるのである。一流の芸術家、武術家が私に投げ飛ばされる理由は彼らがすでに氣を使うレベルにまで到達しているからではないか?と私は考える。剣道の天覧試合までする師範が私に竹刀で打ち込んで来れなかった理由はそういうことであった。私が武術的に強いということでも無い。氣を専門に三十年も訓練していたから私の氣が剣道師範の氣より大きかったということだった。竹刀で私が打ち込んでいったら私などひとたまりも無く返り討ちにあっただろう。氣功のルールで相手をしてもらったから、そんな結果となっただけの話なのに昔、ある氣の団体に通うおばちゃんが、私、空手家を氣で飛ばすことができるんです!と私に向かって自慢していたのであるが、だったら空手で勝負してみたら?と言えば良かった。そんな人間たちが私の道場に大勢集まり、怒りおさまらぬ私は氣のボリュームを少し上げて相手をしていたら、あまりにたくさんな骨折者が続出した経験がある。 生兵法はケガのもと!である。

オンライン氣功講座と氣功治療

コロナ禍の第二波、第三波と長引くにつれてオンラインでの氣功講座と氣功治療の依頼が増えて来ている。オンラインで繋がりスクリーンの向こうで私の氣を感じることができるようになると少しずつ動くようにもなって来る。氣に敏感な場合には立てなくなったり、左右に傾き倒れる時もある。このように私の氣と相手の氣が繋がるとケガや病氣も氣功整体治療の成功率の確率は高くなる。耳置鍼は暇のある時にさいたまの講習会や練習に一度来てもらい耳に鍼を打って自宅にて私が教えた自療法ストレッチ体操と運動をしてもらう。氣功整体治療では最初の初診初回だけでも十分な効果改善はできるので二回ほどの治療ならさらに効果を上げることができると思われる。今までにスイス、ハワイの患者をオンラインの遠隔で治療して腰痛と骨折の治療をして改善効果を確認したのである。距離は関係が無い。関係あるものは患者が集中できる性格かどうか、氣を感じるかどうか、の一点のみが必要なことである。専門性のある職業や医療従事者などの人は氣を感じるようである。それに芸術、武術に携わっている者たちも氣に敏感なものである。大抵の場合氣に興味ある人はすでに氣を意識しているのでそれ自体が氣功をしているようなものであるから氣は繋がり易い。だから、オンラインでの氣功講座と氣功治療は可能性は大いにあるものである。少しずつでも私の予約表は埋まり始めているのでいっぱいに埋まる前に予約を入れていただく事をお薦めする。

ニセモノのチカラ

いわゆるウソと虚偽で立ち上げたニセモノ団体のニセモノ師範たちの実力、チカラはどれだけのものでどれほどのチカラがあるのだろうか?それぞれ氣の武術師範、瞑想の総大将と自称はしていたが、そんなチカラは何も無い。そして私のマネをして、医学を学んだような印象を社会に与える為に皇漢医学を研究したとまたウソをつきその道の権威をきどっているが、その裏側の実状は私が与えたカネで買った通信の整体師の資格であった。ここまで私に暴露されてまだ皇漢医学などと言うのだろうか?皇漢医学と言うのは一般的には漢方医学を指すのが常識である。私も中医のライセンスを取る前にサンフランシスコで四百もある漢方の全てを勉強してひとつひとつの漢方薬の形状と味などを調べた思い出がある。何年もの時間がかかる。こんな勉強をした形跡も無く、日本では漢方を調合するには資格が必要だ。ホームページには自分でどんなことでも書けるから自分で書けば何にでもなれる。その道の権威にもなることができるのである。まさしく笑止千万!である。瞑想の総大将と名乗るニセモノ瞑想家も私が教えた基礎訓練と瞑想でお茶を濁している。こんなニセ者たちの団体とは一切の関わりを持たないでいただきたい。権威ある尤氏長寿養生功の顔にドロを塗る行為である。私にはこんなニセモノたちを許すことができない。

同病相憐れむ

歩行困難の後遺症患者を治してもう一度歩けるようにしてあげるのは、私にとって他人ごとではないからである。私もコンクリートの道路に左膝をしこたま打ちつけて以来歩けなくなったいきさつがあり六年が過ぎている。この六年間のあいだ、毎日痛みと痺れがあって杖をついても良く歩けない。必死になって自分でリハビリと筋力トレーニングで脚の筋力がつき、一人で飛行機に乗って海外にも行って帰ってくることができるまでに回復して来ている。歩行困難で歩いている人を見ると、私が治療方法を知っているので黙って見ていられなくなる。大きなお世話だ!と言われるかも知れないが、声をかけてストレッチなど教えたくなってくる。同病相憐れむと言うことだろう。歩行困難者に特化した治療院を設立できはしないか?と思案の毎日である。