存在感

ドクター尤老師は誰もマネ出来ない、世界一の、たった一人で頂点に立つ、氣功武術の達人であったが、中国意拳の真髄を受け継いでも自分を武術家とは呼ぶことはなかった。究極の武術を創立した医師が武術家と名乗らずに、無名の誰も気にしない、どうでもよいナルシストの三流以下の者が自分でたいそうに、自分を自分で 武術家と名乗っているのは、皮肉である。

ドクター尤の存在感は唯一無二のものである。私のマネばかりする者が、ドクターの名前を不遜にも、勝手に使用して自分のニセ武術に尤氏意拳と冠しているのは笑止であるのだが、愚か者なので為すこと全てが愚かである。武術家としての資質も資格もない者が武術家と自分を呼び、超一流の資格充分にあるドクター尤老師は自分を武術家とは呼ばなかった。その差は一体何なのであろうか?私はドクター尤老師のような存在感のある人間になりたい。何処に行ってもどんな状況に置かれても、私という人間の存在を示して尤氏長寿養生功を受け継ぐ者としての責任と覚悟を示す存在となる。その存在感を示すのだ。私も自分自身を武術家と呼んだことは無い。そんなタイトルをつけたこともない。東洋医学を修めた中医鍼灸師ではあるが、尤氏長寿養生功を受け継いで新しく私の氣功整体を創設して日本と世界に尤氏長寿養生功と氣功整体を拡めようとしている。しがない鍼灸師ではあるが、それでも尤氏長寿養生功を主張する存在感を示したい。