知る者は言わず言う者は知らず

尤氏長寿養生功を私から

習っておきながら、カネと売名の為に自分の道場を開いた者たちは充分なチカラも持たず、それぞれ武術と瞑想が「できる」と言ってまた知らぬことを「知っている」と言ってどこかの本から慢心で得た情報で資格もない医療のエキスパートとして知らぬことを知っている、と言っている。ことわざに知る者は言わず、言う者は知らずという言葉があり、逆説的に知らぬ者の軽々しく慢心することを諌めている。瞑想を知らぬ者が瞑想の「大将」と言い、氣を知らぬ者が「総師範」と言う。私と言えば、尤氏長寿養生功に関しては知っていることしか言わないし、知らぬことは言えない。不思議なことに実力と資格がある者は自分の肩書きと自分を格上げする必要性が無い。宗家、総師範、総大将などいう大げさな肩書きが要らない。神さまの名前を出汁 にしたり、殺陣師の使う チャンバラの木刀を写真に撮ってカッコ良いでしょ!と自慢げである。そんなことは私には無縁な、必要の無いものなのだ。何故に知らぬ者が知っているフリをするのかは大人であれば、分かるだろう。

大人ではないから知ってるフリをする。身体だけ大人になって、頭の中身は中高生のままだ。

果たして、【総師範」「総大将」の中身は「子ども」であった。