愛の結界

私はテレビの番組に出演の際、私の胸に暖めていたワザをぜひ一度試してみたいと思い、誰も見たことが無い、経験したことも無いワザを試して来た。そのひとつに氣で結界を作り、結界の線から出たり入ったり出来ない状況を作り、実際に番組に出演した人々をその輪の中に入れて出ることができないようにしたのであった。この結界のアイデアをさらに拡大して結界の線に当たるものを愛に出来ないものか?と現在考えている。最近ではそんな状況になって来ているのでは無いかと思うこの頃なのだ。愛の無い者たちが私の道場を離れて人数は少ない状態になっているのではあるが、道場の練習訓練が楽しくも厳しいものとなって私の人生は幸せなものとなっている。人はなかなかオレは、私は幸せだと言い切る者はいないだろう。私ははっきりと堂々と言うことができる。毎日の日々は楽しく嬉しいワクワクするものとなっている。新しく出会う人に会うのは楽しいものとなって、幸せな感覚は拡大して私の障害も悪化すること無く、左脚の痛みと痺れが消えて来ている。ますます幸せになって顔に笑みがこぼれるほどである。このあいだも手かざしの団体の人たちと談笑していた時に太田さんはカッコ良い人ですね!などと言われて今でもそうでしょうがモテるでしょう?など言われて恥ずかしい想いであった。そんなことは今まで一度でも言われたことが無い。心に愛を意識するだけで、顔まで変わってしまうらしい。お世辞でも、そう言われる方が、恐い顔してますネ!と言われるよりマシだろう。老境に入った者がそんな風に言われることがどれほど老人に生きる自信や希望をもたらすことか?言われぬよりも言われることが良いことはもちろんのことである。五十歳を過ぎると親の影響は消えて本来の自分の心の投影された顔になる、と言われるが、そうであるならば私の心が影響して私の顔を作っていることがみんなにそう思われた理由では無いか?愛の結界は邪気ある者達を遠ざけ、顔の姿形をも変えて私の人生を幸せにしてくれる。嬉しいことでは無いだろうか?