カネより大切なもの

カネが大切ではない、と私は思ったことも必要ではない、と言ったこともない。が、カネに目がくらみ、愚かな者たちは仲間と師を裏切り本人の自尊心をカネと引き換えに自分の信用信頼を失って、誇りと誠実さや人間性をも全て失った者がいる。私はカネはもちろん無いのであるが、カネよりもっと大切なものを得たのである。尤氏長寿養生功を学び、片や人間としての大切な誇りや人間性を失って信用をも失う者がいる一方で私は人生で一番大切な幸せを得た。三十年ほどかかったが、その間に病気やケガをして身体障害者とはなったが、驚くほど幸せとなったのである。尤氏長寿養生功を教えてカネ儲けをしようとしたことはない。一生懸命に尤氏の最高のワザを披露してドクター尤老師と師母の名を拡めようとしたらたまたま五百名の道場生が集まったのであった。テレビにも何回も取り上げられたのである。めちゃくちゃにされた道場を立て直す努力を続けていたら、いつの間にか幸せを感じるようになって神社での光の体験をしたり、さまざまな奇跡が起こることになった。カネ儲けをしようとか幸せになってやろうとか意図的な意志があった訳でも無い。師匠の文革で傷つけられた名誉の回復と道場生と私を利用してめちゃくちゃにされた道場を立て直す私欲の無い努力をしていたら、カネが手に入り、幸せも手に入れたのである。尤氏長寿養生功を好きで好きでたまらない気持ちを追求しているだけであった。他のことは頭に浮かばない。今現在もそうである。今月も手かざしの団体で初対面者との氣の交流がある。生きているあいだに一人でも多くの人と氣の交流がしたい。結果は自ずから追いて来るから全てエンジョイして人との出会いを喜び楽しむ心境になっている。氣を出すことで脳内でセロトニンドーパミンが放出されるようになっているようである。と同時に私の左脚の痛みと痺れを感じなくなった。これもベータエンドルフィンが放出されたからだろう。心身の健康が何よりで、カネより大切なものであることを私は悟った。たとえ身体障害者であろうとも、健康で幸せになれる。カネより大切なものである。