氣と武術

武術のワザは星の数ほどあるが、そのワザを動かす裏には氣のエネルギーがある、と東洋の古代哲学は教えてくれる。東洋の武術は最終的に剣道でもそうであるが瞑想的なものになって行く。高段者同士の戦いに於いては、氣と氣の勝負となって行く。見えない世界での勝負となり力とワザの段階の上を目指すようになる。意拳の世界では、立って構えただけで相手がどれだけの技量を持っているかどれだけの修練を積んだかが、それを見ただけで分かるようになる。脚と腰の氣が地に降りて地面に根っこが生えたような格好になっている姿は相手を威圧する。もうこれで勝ち負けはついている。武術であっても、医術であっても、芸術であろうが同じことである。すでに目から神、シェンが出ている。鍼灸の達人と言われる鍼灸師は目細く目から神がほとばしり、患者が治療室に入る姿を見て細かい動きや匂い、顔色などをチラ見して証を判別する。まさに勝負の世界に突入する。邪気との真剣勝負なのだ。瞑想と氣功で毎日心身ともに鍛えて勝負に備えて治療に備える。私は武術家であって治療家でもある。毎日準備を怠らない。昔の剣術修行者と同じ心境である。