瞑想と聖人の奇跡

釈尊が瞑想で悟りの境地に至り仏教を開いたのは良く知られているが、実はイエスキリストもインドで七年間のあいだ瞑想をしていた形跡がある。この七年間はキリスト教研究者の間では失われた七年としてイエスキリストが修行をしていたのではないか?とまことしやかに噂されているのである。心の内に入っていくと、瞑想の質とレベルが細やかで高くなる。こうなると人間の波動はすっかり変化して氣は増幅されて一般人がその聖人に目を合わせただけで病いや心身の問題が解決することがある。イエスキリストや釈迦は我々一般人と比べると何十段も霊性が上であるから人体から発する氣のチカラ、光はとても強いものであった、と思われる。そして発する言葉は人の心の内奥にエコーするように響いたに違いない。歩けない不具者にイエスキリストが、「歩け!あなたはもう歩けるのだ!」と言ったならば歩けることとなったのは当然のことだろう。言葉の内には氣のエネルギーがある。イエスキリストの身体から光が出てその放射線に人を癒すチカラがあるとすれば、そのチカラはとてつもなく大きかった。 中国の古代に現れた老子孟子孔子なども瞑想を行なっているはずである。インドの仏教はチベットに伝播して瞑想が特化してある流派の瞑想法は尤氏長寿養生功により意拳と融合して日本人の私に伝えられて今に至り培われた氣は治療に応用されている。能力霊性の無い私であっても奇跡的な治療を行えるのであるから、ましてや、聖人の行なっていたワザは何をやっても、「奇跡」であっただろう。資質の無い私の道場から出たニセモノたちは奇跡的なワザが出来なくて当然である。であるから、私のマネをするだけで精一杯である。人の役に立つ!などとは思っていないから、奇跡は起きない。私は聖人ではないので教えられた通りに武術的に相手を投げて鍼灸に培った氣を鍼に入射して患者の様子を見ることくらいが席の山である。今手かざしをすることができるようになった今はガン治療も可能となるはずである。なぜなら、人体から出る光の中にはガンマ線放射線が含まれている可能性があり、実際のところ、ガンマ線ナイフ治療と言うものが脳内にある腫瘍を治療する技術はすでに開発されているのである。脳内に問題ある患者は手かざしと氣功の治療を受けてみて様子を見ることが勧められる。