瞑想のレベル

氣功をしている、瞑想を教えている、と自慢する者たちの中には瞑想が何たるかを知らずに圧倒的に瞑想のレベルが低くても、氣功の師範であるとか瞑想の大将であるとか自称している者たちがいる。実に嘆かわしいことである。 武術武道の団体を率いて宗家総師範と言っている者の瞑想のレベルがどんなものか疑わしい者もいるのは事実である。瞑想もどきの雰囲気だけ作っている団体もある。どんな言葉を使い、瞑想の修行の内容についてどんな記述をしているか、どんなワザを見せているか、でその者は瞑想のレベルは一目瞭然である。修行時代の写真も動画も出さなくてはチェックすることもできない。ニセモノたちは修行時代の写真も動画も掲載していない。瞑想のレベルには、瞑想中に寝てしまうレベルから時間が来ても余りの気持ちの良さにそのまんま瞑想を続けるレベルまであってさまざまである。私の場合は、身体のクレンジングの初歩的レベルからクレンジングを終えた後の瞑想ではすっかり変わってしまった。今では寝たい時には眠り、どんな真夜中であっても瞑想出来る時には瞑想をしている。心の赴くままに瞑想しているので、ある意味二十四時間瞑想していることになるだろう。私が初歩の段階から究極のレベルまでの幅を体験しているのでどんな瞑想をしているか、を道場生から聞くだけでどのレベルにあるのかいっぺんに分かってしまうようになっている。とりあえず神秘体験することが必須の条件である。神秘体験の無い氣功家や瞑想家は初心者である。瞑想を単なるカッコつけの、仏教の一派のようなポーズを取ってこれ見よがしにそんな写真を掲載する浅はかな団体もある。ホームページにそんな印象を与える武術団体は、仏教であれ、神道であれ、浅はかな消えるべき運命の、内容の無い団体である。本格的な瞑想をした者には、偽りの瞑想であることは一目瞭然である。そんな団体には氣を使ったワザなどあるはずがない。