武術の極致

武術にはそれぞれの流派が我こそは!と一番であると自負して強さを誇っているであろうが、中国最強で大成した拳法として大成拳と人々が呼んだ意拳の真髄を一人受け継いだドクター尤老師が創立した氣功武術は瞑想を主体とした現代においては最高最強の武術の極致と言えるだろう。武道武術の高段者は練習訓練の結果、氣がすでに養成されており、氣には特別反応するようになっているので会ってすぐに勁空勁がかけられるので見た目には私が相手を投げることができるから私の方が強く試合、戦いに勝ったと見えてしまう。相手の高段者師範をすぐにコントロールできるとすればこの事実は武術の頂点を極めた、武術の極致と言ってもおかしくは無いだろう。そして今は、相手が誰であれ、自分の氣を感じて私の氣をも感じることができればどんな武術であれ、どんなサイズだろうが、触れずに投げることができるようになっている。通氣になって二十八年が経過している。師母は私に毎日のように言っていた。通氣になれば、武術のチカラは今まで経験したことの無い領域に入ることができるのだ!と。当時の私はそんなバカな!と言って一笑に伏していたのであるが、今私が教授する立場になって、通氣の後、三十年近くなって私のチカラを分析して見ると今の私が武術の中でも一般の武術家には到底理解できない領域にまで到達したことが分かるようになっている。特殊な氣のチカラであって、医術にも、武術にも使えて最強のエネルギーを発せられることが確認できるようになった。訓練を怠り無く継続した結果のことである。思い返せば、あれこれ辛い修行の中でも楽しく面白いことがたくさんあった。時折、センチメメンタルになって師母を思い出しては涙が思わず溢れ出ることがある。武術の極致は辛くとても辛い修行の末にまた毎日修行して到達する境地のことである。ニセモノ尤氏団体には死ぬまで分かり得ぬものなのである。