才能

尤氏長寿養生功を習うに私には体力が無く身体も小さく氣にも敏感では無い、有り余る才能は全然無かった。才能は生まれながらに持っているものではない。私は武術武道が好きで、私が幼い頃から身体が弱くいつも病気ばかりしていたので武術武道で心身を鍛えたいと思って少林寺拳法を学び、最終的には四国の少林寺拳法の本部の専門学校で教官をしていた。さまざまな理由で退官した後に私が中医のライセンスを取得した年についに念願の尤氏長寿養生功の欧陽敏師母との運命の出会いがあったのである。不思議な出会いで、私は私の換金もあまりできない全財産をこの尤氏に注ぎ込んだ。狂的に尤氏を好きにならねば、尤氏長寿養生功を自分のものにはできなかっただろう。尤氏に関していえば才能は私には無かった。ただ訓練をすればするほど次の日の練習に情熱を燃やすことができたのであった。私の身体は強くは無かったが、訓練をすればするほど身体は自然に出来上がっていった。武術武道のチカラの源が氣であることが理解できた後には練習とワザの原理と本質がなんであるかを見定める能力が開けて、無駄な練習をすることが無くなり、一度教えられたらすぐにできるかようになった。それほど精神を集中することができた、と思える。自分が好きなことに出会えてそれをしているうちに身体と精神が出来上がって来る。自分に適っていないことをしているうちは、出会う人間たちも物足りなく、自分の意見と合わぬ敵も出て来るので早く辞めないといけない。不満のエネルギーは更なる大きな不満や不幸も呼ぶ。私が現在非常に幸せに感じているのは、好きなことをした延長で満足しているから更なる満足のエネルギーが楽しさと嬉しさ、幸せを呼んでますます幸せになっている、と思える。私は才能には恵まれていなかったが、今の私は自分の才能に満足して私の人生に幸せを感じている。尤氏に関して言えば、当時の自分には才能が無かったが、今の私には才能がある、とハッキリ言える。