活殺自在

この活殺自在と言う言葉は言葉だけのことで実際のところ、現実にはできぬことである、と言うのがどんな武術にいる者でも抱く意見であろう。しかし、今の私には可能であると言うのが私の意見である。尤氏長寿養生功を三十年訓練して、私の到達した境地は医療に使えば、最強の医術となり、武術としては最高の頂点に立つこともできるものである、と。自慢して言うものではないが、氣を使ってあるポイントを攻撃すれば相手を殺すことすら可能であることも知った。もちろん使ってみたことは無いが、師母から指導も受けている。が決して使ってはならない!とも言われている。今の私のチカラを使えば可能であると言う自信もある。でも、一生使うことは無いだろう。そんなことに氣を使う気持ちになる境地ではなくなっている。殺すことに自在となるのと活かすことに自在になることでは天と地の差がある。新しく氣功整体の分野を開拓してその道を極めてみたいと言う気持ちが大きくなって来ている。これは神さまの御心には反することは無いだろう。逆に人を傷つけたり、ましてや殺したりすることは神からの大極罰があるはずである。活殺自在ではない、活自在となりたい。