チャンス

人生において、チャンスをせっかく与えられても若さの故か、能力のせいか、修行が圧倒的に足りないせいなのか、チャンスを自分のものと出来ずに成功出来ない者がいる。全てカネも名前も権威すら与えられていながら、何も残らなかった者を私は知っている。私の道場を守り切る才覚と努力と生活を切り詰める誠実さが無かった。贅沢に溺れて、分不相応の欲を出したからである。私は一時期日本の氣功のパイオニア的存在であって、氣功の底上げをしていた、と自負している。私の長年の、辛くて過酷な修行の成果を一気に爆発させたのである。同じチャンスは人生において二度は訪れないと私は思うのであるが、古希を過ぎて、幸運にも、私には二度目のチャンスが訪れている。歳老いて経験と今でも弛まぬ努力精進を重ねている為なのであろうか?人との関係を大事にして共生の道を絶えず探ろうとしていたせいなのか、タヒチへの移住が可能になり、すでに道場生が集まっている。またスイスには拠点を作って任せられる人材を確保して、ヨーロッパに、私の辿りついた境地とワザと治療法を将来試して教授する機会が与えられている。タヒチでの診療所として海辺の一軒家に治療ベッド二台を確保している。そしてまた、私の在籍したICU,国際キリスト教大学に支部を開く予定となり、二人の支部長候補を確保している。このように二度目のチャンスの準備が着々と進んでいる。二度訪れないチャンスが私には訪れようとしている。過酷な訓練に耐えて、他人から賞賛はされても疑いと嘲笑の方が多い氣功人生を諦めず揺るぎない自信を持って新しい境地を開いている私には向こうの方から二度目のチャンスが与えられている。氣功は歳老いてからが本物の氣を発して勝負することができる世界なのである。努めて長生き、長寿を全うせねばならない。もっとも、訓練を怠らず分不相応な欲を出さずに正食正体瞑想を続けることが勝手に長寿を与えられることになる。そして二度目のチャンスも与えられるのである。私の名を残そうなどという大それた考えは私には無い。ただこの素晴らしい尤氏長寿養生功を世界に広めたい一心であって、文革で辱められた私の師匠ご夫妻の名誉を回復することしか頭に無い。