自然体

柔道や剣道で良く使う言葉である。立ち姿が攻撃防御のどっちへでも移行できる力んでない、ナチュラルでリラックスしている心身を言っている。尤氏長寿養生功に出たニセモノたちはそれぞれ緊張して、オトコは爪を噛むクセがあり、オンナはあまりの緊張に両肩は釣り上がって、怒り肩でその形はハンガー、衣紋掛けのようになっていた。自然体の逆だから気負いがあって言動にもムリとムラがあった。胸の奥底に私に対する野心と逆心の心があるから自然体になれなかったのも理解できる。どっちも見映えを気にする者たちであるから実力資格の無い自分をその穴を隠す為につぎはぎだらけのウソと大袈裟な表現で自分を何段階も高くして似合わない肩書きを自分につけなくてはならない。一方の私は肩意地はらずにいつもリラックスして自分の心に忠実に生きている。同じ氣功を訓練しても結果は天と地ほどの差がある。気負いや緊張は氣功武術の敵である。ミイラ取りがミイラになっていた。ミイラがミイラの取り方を教えていることになる。私が師母から習ったことで印象に残っていることがある。立ち姿を見ただけでどれだけの訓練をして来たか分かる、と言うのである。ニセモノたちにとって自然体は私がこう言ったことを聞いて言葉巧みに彼らの上手い口だけで言い直す「自然体」であるに違いない。自然体は過酷な訓練の後に出来上がった身体能力の一部であって、形として表れた氣が丹田に降りている立ち姿から発する氣が伴っている武術家の究極の姿の境地を言っている、と言うのが私の行き着いた解釈である。勁空勁は極限まで育てた自然体からできる尤氏長寿養生功の究極の秘技である。