仁義

何もヤクザの仁義について語ろうと言うことではない。仁と義は儒教の核の部分であって、人間が踏み行う道であり日本では元来ヤクザだけではなく、どんな分野の道であっても必要不可欠な人間の規範行動であった。現代においても特に伝統ある武術や芸術の分野では今でも行われている簡単に言えば、挨拶と義理と言った言葉の裏側に潜んでいる師に対する礼儀とか兄弟子への気遣いと言うことができる。仁義を失くした者たちが伝統ある武術を学ぶことは学ぶ前から学ぶ資格が無い。仁は愛、人の心に寄り添う共感の日本人の誰もが持つ心である。仁義なき戦い、と言うヤクザ映画があったと思うが、ヤクザであっても仁義を重んじるから仁義の無い者たちはヤクザ以下と言うことになる。もっとも、タヒチで出会ったノラ犬にエサを一回あげただけで、私が大きな三匹の犬に取り囲まれて危機的な状況になっている時に急にこのノラ犬が横から走って来て狂ったように吠えて、三匹の大型犬を蹴散らしてくれたのである。犬であっても恩を忘れない。一方で武術家と称しているオトコは一宿一飯の恩も忘れて恩を仇で返す仁義なきオトコである。イヌ以下の人間を生まれて初めて見たのであった。ヤクザとイヌ以下の人間が武術を新しく作った、と言って教えている内容は一体何であろうか?イヌにも劣る人間が武術など教えて良いものかどうか良く考えてみたらどうだろうか?