情報

私が半世紀ぶりに帰って来た日本は新しい情報が満ち溢れ、使っている言葉やシステムが私にはサッパリ分からない。インターネットやスマホの操作は皆目見当もつかない。そこで、道場生の若い者と積極的に交流してあちこちに連れて行ってもらったり、スマホの操作を習ったりして、浦島太郎になって玉手箱を開けてしまった私は老人となっているが、若者のおかげでなんとか極度に発達した日本の情報社会に一番ビリで追いかけて七十の手習いをしている。幸いなことに新しいことや機器の使用には苦にならず、老人の私が体験経験を伝えて若者は私に新しい情報とテクノロジーを教えている。小さな共生の姿がここにはある。お互いに学ぶことがある。持ちつ持たれつ、共生の原理でお互いに得をしている。もたれかかる老人は遠ざけられるが、積極的に新しい情報を集めて若者と交流して若者が必要としている体験や経験、智慧を提供する老人はありがたがられる。これが社会の基本ではないだろうか?若人と老人が一緒に共に生きる。交流を持つことで社会が活性化する。老人は新しい情報が足りず、若者は経験体験が足りない。どっちにとっても必要な情報である。互いに必要なものを取り入れる。