善良と超能力

絶好の奇跡的タイミングで以前から見たい見たいと思っていた、ずっと前にアメリカで見た映画「Green Mile」をテレビでやっていたので、これ幸い!として全編を今日見たのである。涙無くしては見られない感動作である。内容は以下の如くである。ある黒人の大男が二人の少女を誘拐して暴行殺人で捕まり死刑囚として刑務所に送られる。が、実は犯人は他にいて彼は少女たちの生命を救おうとして二人の少女たちを抱えていたところを逮捕されたのであった。刑務官と黒人が知り合って、黒人の大男はものすごい超能力者で病氣を癒し、瀕死の人々をも生き返らせる超能力を持って生まれたことを知る。赤児の心を持つ暴力など知らない、したことも無い善良な平和主義者であった。そして結末へと向かう。血も涙も無い死刑囚がもう一人入所して来る。実は彼が少女誘拐暴行殺人犯であった。大男の黒人は暗闇が嫌いで夜,明かりがついて無いと寝ることすらできぬほど臆病な者でもある。刑務官の一人が少女誘拐殺人犯に劣らぬ人間性で、刑務所長の妻が脳に悪性腫瘍で死ぬ運命にあったのを完治させた後に真犯人がいたことを知った黒人は、この男に脳腫瘍治療後の邪気を悪刑務官の口に吐き入れ、氣の狂った刑務官は真犯人を射殺してしまう。それでも、大男の黒人は電気イスで処刑されてしまう。グリーンマイルとは電気イスまでの長い廊下の意味であった。超能力は神が善良な者に与えた贈り物であった。私も、日本でいわゆる超能力者と言われる者たちと会わされたことがあるけれども、決して善良と言うには程遠い者たちであった。売名が目的でテレビ局に出入りしていた、としか思えない。超能力が善良な者に与えられないと危険なことになるだろう。処刑前夜に刑務官の用意した、見たことも無い映画を観て美味しい好物を食べてついに処刑される。黒人の大男の死刑囚と刑務官のあいだの人間的な心の交流のシーンでは私の涙が出て止まらない。自分の定められた運命を呪うことも無く受け入れて死に向かう心はネズミも殺せぬ巨人の身体を持つ大男の黒人であった。時代設定は大恐慌の前後の1935年である。黒人に対する人種差別が主流のアメリカ南部のストーリーであった。私にもたった三十年前にもテレビ出演後には、私の周りにも大勢の人が誤解と偏見を私に向けていたことを思い出した。無知は時に人を残酷な結末へと結びつける。