真の自信

明日、テレビの生番組に招かれて今まで会ったことも話したことも無い者と氣の交流をしてその場で勁空勁をかけて触れずに投げて見よ!という要請を受けてテレビ局に向かう時には、私でなくともどうなることやら、と不安になることだろう。三十五年ほど前にダウンタウンをステージ上で投げて欲しいという要請されてアメリカから日本に向かう時には私が成功する自信は皆無であった。失敗したらどうしようかと随分心配した。が、それまで厳しい過酷な、誰にも真似のできない訓練を師母と一対一でしてきたことを思い出して自分の自信を取り戻して現場に向かったのである。道場のテレビ局の生番組の現場はリハーサルなどできる時間などあるはずも無い。覚悟を決めて本気で押して来る私の歳の半分しかない若い吉本の芸人たちをこちらも本気で押し返して勁をかけた後に空勁を試したのであった。これがきっかけになって次々とテレビ番組出演の依頼が来たのである。同じ内容の氣の実在の検証の番組が続き、だんだんと依頼の内容のハードルは高くなる。私が最高に難関であると感じた依頼はアメリカンフットボールの選手たちを相手に走って来て襲いかかる者を空勁で投げてくれ!というものであった。会ったこともない、話したこともない初対面の選手は私の倍もある体格で、テレビ局のスタッフは対戦モードを盛り立てるように彼らを私にけしかけている。案の定、彼らは闘志満々で老人になった私をぶっ飛ばしてやる!と息巻いている。その上、私の妻からは武術的にやってはダメよ!と私に手かせ足かせをつけられた。どうしたらこんな頭の中まで筋肉の男たちを氣で制したら良いのであるか?と悩んでいたが、当時の私の氣は相当に強く重くなっていたので、これを使えないかと思案して本番のカメラが回っている時に思案と身体が一体化して体重百五十キロの黒人の大男を突き飛ばして立てなくしてやったのである。これなら武術的には見えないし、完全に氣でコントロールできている。私には知らされずにハリウッドのプロボクシングのジムに連れて行かれて、強い選手を用意してくれ、と言って腕に覚えのあるボクサーが出て来て、また触れずに投げて見よ!と言う。こんな要請には慣れっこになっていた私には驚きも不安も無かった。何故なら、何万回となくさまざまな武術家と大男のスポーツ選手と相手して来た経験と師母との過酷な訓練が私にゆるぎの無い自信をそれまでにもたらしてくれていたからである。今でも、明日番組で相撲の関取を投げてくれ!と言われても驚きもしない。むしろやっとそんな体験を持つことができる、と喜んでしまうだろう。滅多に出会えない人なら大歓迎である。自信の無い者は妥協の無い練習訓練修行をしたことのない者である。過酷な訓練は真の自信を与えてくれる。