実力と自信

自分のすることに自信を持つには誰にも負けぬ実力が必要である。ハナクソのような実力で自信を持つ者の自信は過信と言って、身を誤るもととなる。何回も何回も言って来たことであるが、実力も無い者が師範と自分を自称する者がまるで実力のある武術家のような口ぶりでふんぞり返った態度を見せるのは、自分に自信がない、過信であることに自分自身で気づくことは無い。いつでもそうだったが、愚か者の為せるワザである。何をそんなに焦るのであろうか?おそらくは、私と張り合っているからであると私は思っている。何でも私のマネするオトコなのである。ニセモノであることだけは分かっているから少しでもホンモノの私に近づきたい。しかし、今生では無理だろう。どんなに逆立ちしても私のレベルに到達することは無い。いつまで経っても私が教えた誰でもできる初心者の勁空勁を後生大事に三十年も同じことを繰り返している。訓練もせずに口先三寸で私の後継者であるとウソをつき、悪代官のように悪政を道場内に強いて自分の権威を高めるような者は実力と自信のあるはずもない。過信と自信を取り違えている。一方、私は過酷な訓練で左脚一本を失くしてしまった。身体障害者となっても私のチカラは進化している。私には実力が伴った自信がある。身体障害者になっても、勁空勁を駆使して初対面の講習会参加者を全員投げてコントロールしている。これこそが実力に基づく自信と言うものである。ワザは口だけで行なうものではなく実際に人の前でいつでも何処でもできるものなのだ。しかも障害者になっても以前にもまして実力は衰えない。私は古希を過ぎている。たとえ、百歳になっても、今と同じことができる、と断言しておこう!