闇と光、無明と光明

私が尤氏長寿養生功に出会う前は簡単に言えば、私の人生は闇の中にあったと言えよう。無明であった。仏教的に言えば、中医の資格も得て全て分かったつもりでいた。尤氏長寿養生功の瞑想を始めたその日の瞑想直後に、あ、オレはこれを以前にも訓練したことがある、というデジャブーというか懐かしい想いがあったのである。そして二十年の月日は流れ、師母から教授を許されることとなった。日本語で言えば、免許皆伝となった。闇の世界から光がさしたのである。これも仏教的に言えば、光明がさしたのである。無知であった者が智慧を持つ結果となった。鍼灸の技術は単なる資格、ただ針を打つだけの行為であるが修行後の私は針を打つ必要がない、資格も要らぬ身となった。高価な車も無く、家も無かったのではあるが私の気持ちはどんな大金持ちにも手に入れることのできない自由な境地を持っていたのであった。目を閉じて瞑想すれば、身体に爽やかな風が吹き、自信に満ち溢れ、望めば何でも手に入る、と思われた。結果その通りになったのである。人の痛みや病いはいっぺんに消失した。尤氏の瞑想は光と光明を人にもたらす手段となる。