氣と難病

今回最初の熊本氣功整体講習会を終えての私の印象は、難病といえど、たとえ医師が見放した病いといえども、病氣は氣の病いであるから決して諦めること無く、いつも言うように食、体、想のバランスが保たれていたかを良く考えて気づいたところを修正して行く時点から病氣の回復が始まるのであることに私は想いが至ったのであった。患者の中には私と氣の交流をして笑い転げてゴロンゴロンと床を転げ回るだけで完治した病いや症状も実際にはあったのである。氣が良く巡り経路を氣が再び流れるようになった患者が長年悩んでいた痛みはすっかり消失していたのである。難病と言えども恐るるに足らず!である。素直に私の指示に従い実行した患者は100%改善完治した。驚くのは初診初回の一回だけの治療でそうなったのである。まるで魔法や奇跡と言った類いの治療法である。医療の常識を覆すことではないか?信じない者にとっては眉唾物と言って例によって敬遠する者も居るだろうが、そんな懐疑主義的扱いには私の空勁がテレビで紹介された時には霊能者扱い、ペテン師のように言われたから慣れている。氣の可能性をあらゆる分野で試しているだけなのであるけれども、理解されぬことがつくづく残念である。私には得意なことが二つある。一つは氣を武術に応用すること、もう一つが氣を治療に応用することである。切った張ったのヤクザのように競争する、頭の悪い武術家の醜い行為には飽き飽きしたので、今は治療の世界でも私のチカラがどれだけあるか試してみたい。今は一人でも多くの治験例を増やして実績を残しておきたい。パーキンソン氏病や脳梗塞後遺症の歩行困難は耳置鍼だけで改善完治することができる。もちろん氣を用いて氣を巡らすことが必須の条件である。医療の現場では回復が遅れて半ば諦めている患者への朗報となって、死ぬまで来させるリハビリから完治させるリハビリにする医学的常識への挑戦である。私はあと五十年くらい生きたいと願っている。五十年のあいだに氣を用いる治療法をきっと確立する、してみせる!というのが私の老後のこれからの生き甲斐となる。