頂点からの眺め

エベレストの山に登った者にしか見ることの出来ない景色があるように、武術の頂点にある意拳の王向斉老師の見た武術の景色はどんなものであったろうか?また意拳から氣功武術の頂点に登り詰めたドクター尤老師の見た景色はどんなであったろうか?その万分の一にも到達していない私であっても、僭越ではあるが、他の武術武道やテレビなどでの催眠術のショーと東洋医学の紹介を見ていると、未だ頂点には達してはいない、と思わざるを得ない。今になって、やっと師母の言っていた、プーハオ、不好とばかり何を見ても、あの素晴らしい中国のウーシュー武術団の演武であっても、不好プーハオ、プーハオであった、その意味が分かった。今の私がそうなっている。不遜ではあるが、、、。私が頂点に着いたと言うことではない。しかし、氣を使えばどんな武術家、どんな鍼灸師であってもさらにもっと上のレベルまで行けるのに、と残念に思いプーハオ不好とばかりにため息をつくのである。こんな気持ちで師母は、ため息こそつかなかったが、思っていたのではないか?と思うようになっている。尤氏長寿養生功と言う山に登り始めて三十有余年の今八合目であるか、何合目であるかは知らないが、高いところまでには登って来たからそんな風に思えるようになっているのではないか?と思うこの頃である。山で遭難するのは、下山する時らしい。未だ頂点に達してない私にはこんなことを言う資格は無いだろうが、私の見る景色が以前とは全く違うものになっているのは間違いないのである。もうすこし登ったらどんな景色を見ることになるのか実に楽しみでならないのである。