武の精神

武と言う文字を分解すると、戈(ホコ)を止める、という会意文字の漢字ということになる。つまり戦い、戦争や争いを止めるという意味になり、絶対平和を目指す道である。それにもかかわらず、人が教えていることを盗んで自分の道場を開けた者はカネと自己宣伝を目的にしてこのような武の精神も理解せず、私のマネに執着して自分の作った武術の宗家、と自分を呼んで得意げである。自分の持つコンプレックスがその原動力だろうが、武の精神を分からぬ者が総師範となり、瞑想の何たることかも分からぬオンナが大瞑想家として自分を社会に売り出した。精神の無い者たちが私の教えていることを盗んで、教えて社会に自己宣伝して自分を認識させようとして必死になっている。精神の無い者たちがそれぞれ、何を教えようとしているのであろうか?哲学の無い武術に哲学の無い瞑想で私が教えた基本訓練で生徒たちを傷つけて、ややもすると殺してしまう状況になっている。早く私に謝罪して正しい基本を教えてもらわねば、いづれ生徒たちが死ぬやも知れぬ。武の精神を分からぬ者はカネの不祥事の事件を起こしてまた、その上に自分の見栄で自分の生徒を傷つけ殺そうとしている。武の精神を理解する者ならば、一刻も早く私に正しい基本の教えを乞うのではないだろうか?殺陣がカッコイイと言って瞑想を教えるミーハーのオンナも自分のカッコ良さに自分が陶酔して、瞑想を習ったり教えたりしている場合ではないだろう。他人の生命がかかっている。何ともあさはかで愚かな連中である。私の下に集まって来る者は優秀で紳士的な者も集まるが、箸にも棒にもかからない、精神や哲学の無い者も集まって来るのである。辞めていったから、私の氣は大分楽になって、私は幸せになっている。