独学の氣功

氣功を学んだことがありますか?と聞いて、はい、本を読んで学びました。と言う人はとても多い。氣功は本を読んで学べるような簡単では無い。私が三十年間一対一で師母との想像を絶する生の訓練と比べれば、学んだことにはならないものである。また危険なことでもある。站椿功ひとつ取っても、体重の掛け方、リラックスの仕方、呼吸法など、口伝のもの、一対一で学ぶものばかりである。しかもなかなか秘密の中身を教えない。長年の時間がかかるものなのだ。教える方も我慢が要るが学ぶ方はもっと我慢が要る。このやりとりをまるで学校で学ぶことと同じように考える者がたまにいる。真に伝統と秘術を学ぶ時には昔からの修行法を経験せねばならない。私が一時教えた者たちは修行するより早く教えてカネ儲けをしたかったから、さっさと道場を勝手に開けてしまった。伝統と秘術は習って無いから、自分の癖のあるハナクソ程度の訓練しか授けられない。家を建てる時にもしっかりしている土台が必要である。良い大工にもなれない。どんな分野でも何をやっても同じように中途半端な仕事しか出来ないはずである。そんな者たちがニセ尤氏長寿養生功を教えている。その生徒たちには、たまらぬものである。ホンモノだと思って習っているが、瞑想主体であるから精神を狂わされる生徒も出て来る。実際には、氣がおかしくなった者が出て、ちょっと前に私に直接電話して来た者がいたのである。私が関係しているのか?と聞いて来たので私は何もしていない、と説明して直接そのニセ師範と話すよう言ったら、一度話に行ったら何や、おまえー、側にいた生徒たちに凄まれたということである。ヤクザの団体のように聞こえる。さすが大阪でホンモノのヤクザを観て来た者のやり方である。これが瞑想主体のニセ氣功武術の正体であった。呆れてものも言えない。