手段

ものごとを成す時には手段が要る。手段には不当な手段、正当な手段の二つに分けることができる。尤氏長寿養生功を習い、教えるに私は正当で真っ当な手段で愚直に三十年のあいだ、毎日師母の道場に通い一対一の訓練を授かったのであるが、私が教えた者の中には、たった一ヵ月だけ習い、私にせがんで教えた初歩中の初歩の誰にでもできる勁空勁を以って私のマネをしてテレビ出演を果たして得意げに、私から尤氏の全てを学んだと豪語するようになって、ついには日本拳法から古神道の神さまからの啓示があって和の氣の武術を立ち上げるに至ったと大見えを切っていたのであった。不当で不正な手段で作ったものは正統で真っ当なものとして後世に残ることがあるはずは無い。どんなに口うまく取り繕っても、その整合性を説明することはできない。金メッキがホンモノの金になることは無いのである。一カ月と三十年の時間は比べることなどできるはずもない。私でも、師母でも使わないタイトル、宗家総師範と言う称号を自分につけて踏ん反り返る。何という傲慢であろうか?それに加えて私の名前を使い老女道場生をだまし、私をも騙して借用書を書いて借金して一円の返済無く、現在に至っている。こんなブジュツカが教える和の氣の武術と言うシロモノはどんなレベルであるか容易に想像することができるだろう。