神永昭夫 氣の柔道家

先回の東京オリンピックで柔道無差別級の試合でオランダのヘーシンクに決勝で敗れた神永昭夫先生は明治大学の柔道家であられたが、その時のストーリーがNHKの「挑戦者たち」という番組でも取り上げられて、敗退後も明治大学の柔道部監督になられて雪辱を晴らす為に身体の小さな上村選手をオリンピック無差別級の代表に育て上げてついに無差別級でオリンピック金メダルを取ったのである。後輩をチャンピオンにしてその汚名をそそいだのであった。私はその訓練の中で使う言葉や指導の方法に、私は神永先生は「氣の柔道家」である、と思うようになった。先生は私の故郷仙台の出身で貧しい大学時代を孤児院の住み込みの手伝いとして働きながら、日本柔道選手権大会を三度制したのであった。私は同じ仙台出身の後輩として誇りに思う。どれだけの苦労をされただろうと思うにつれて、これを書いているだけで涙が出て来る。苦労しながら武術武道をするのは大変なことである。後輩と酒を汲み交わす時には席を立つと弟子たちが散らかしたトイレのスリッパを整えていた、と言う。ひとつ気づいたことがある。上村選手を指導している最中に、相手が投げようとする瞬間に襟を掴んでいる手を軽く相手の胸に置け!と言うのだ。すると相手は投げられなくなると言う。これを私は氣を使っている!と思った。当時、神永先生は氣の概念は無かっただろうが、私と同じことをすでにやっていた。現在の柔道家がそれを踏襲しているかどうかはわからない。私の道場生に元機動隊員で柔道をしていた者が幹部になっているが、再現してみると彼は全く投げることが出来ない。せっかく神永先生が自分の体験から考えついた絶対負けない秘法を柔道界で忘れ去られるのはあまりにももったいない。ちなみに上村選手と決勝で対戦したロシアの巨人選手は上村選手と対戦してまるで柳の枝を相手にしているようで、ワザをかけても、かけても投げられなかった、と言うのであった。まるで魔法にかけられたようで不思議な試合だったと述懐している。日本人の体格で巨人の西洋人選手と戦うには、氣の研究は不可欠なことになる。私はいつかこの氣の概念と理論を柔道で証明してみたいと思っている。