人心乱れて災起こり難来たる

立正安国論」を書いた日蓮はこのように言って、政治と人心の乱れが天変地異と疫病の原因であると説いている。最近の自然の災害とウイルスの蔓延を見るたびに口に出したくなる一節である。仏教が盛んだった時代には自然と人心は一体化していた。庭屋一如、と言って自然と家の中はひとつであった。日本人の死生観や生活は自然と同体であったから、人心特に政治を司る者の心が悪くなるとその氣が同調して天変地異が起こる、と考えられていた。現代においてはそんなことは古臭い迷信だ、と言う者が大部分だろうが、最近の政治家とか人心風潮を見ると、地震と水害に苦しむ日本人がコロナウイルスによってさらに苦しんでいるその元凶が政治家と人心の乱れではないか?と私には思われてならない。900年前の日蓮国難来たる、と言った蒙古襲来と現在のコロナ来たる、が国難ということでは同じことである。当時の日本の人口は今と比べるとずっと少ないので、疫病が発生しても密集度が低いから感染率は低いが医療の発達した現代においては医療の進歩でなんとかコントロールすることができるだろう。意拳の王向斉老師の師匠が暴虐の徒を殺害して牢獄の独房に三年間も閉じ込められた時にも瞑想して意拳の訓練を続けて釈放後に武術家から挑戦を受けても、足腰は衰えておらずに難無く、簡単に返り討ちに出来たと言う話が残っている。私も毎日朝晩瞑想して訓練リハビリに余念がない。私ごとき一人が瞑想しても何も変わることはないだろうが、政治家を含めて、日本人全員が瞑想して人心を整えたら、その氣は膨大なものとなって自然の氣と波長が合って、災起こらず、難は去ることになるのではないだろうか?900年前のことなど持ち出すことではないと言う者がいるだろうが氣功はもっと古い歴史を持っている。900年どころか何千年も前からあるものである。それでも私は見知らぬ武術家を氣で投げ飛ばし、国指定の難病患者を氣で治している。人間の行動や社会は昔も今も変わらないものである。人心を統一して自然と一体化して波長を自然に合わせると、私は災害や疫病は起こらないと真剣に考えているのである。ドクター尤老師夫妻の名誉回復もそうだが、人心を改善して災害疫病を未然に防ぐためにも尤氏長寿養生功の日本、世界への伝播は必要なものなのである。