自然の摂理、神の代弁者

因果応報は仏教の教えであるが、自然の摂理でもある。人間の行動は、全て神さまのお見通し、と言って全て見られていると言われているが、実はそれは大きな自然のシステムの中で人間の行動の結果が、今回のコロナのようなもので精算させられてそのツケを払うことになっているのではないだろうか?経済を優先して地球の環境を顧みなかったことの結果として経済を崩壊させられる。人間のした行為の結果である。これは自然の摂理である。

私は最近、全てを神さまの手に委ねる心境になっている。もちろん人智を尽くして天命を待つ気持ちには変わりはないが、自分のチカラで私が何かを変えてやろうとか言う気持ちは失せている。何も人為的な小細工はせずに自然の流れの中に身を任せるということである。何一つ過不足無くて一つひとつの生き物に役割を与えて、その生きものがただ精いっぱい生きるだけでその役割を果たして地球環境、自然のサイクルの中に組み込まれて次世代にそのエネルギーを引き渡す。そして、他の生きものが生存の為だけに獲物を捕らえてそれ以上望まぬのに、人間だけが生存する以外に飽くなき欲望に駆られて盗んだり、殺したり、果てにはレジャーの為に他の生きものを殺して地球環境のバランスを壊している。欲が原因の源で、地球の温度は上がって地球が人間の住める環境ではなくなってきている。この現状を神と自然はそのバランスを取り戻そうと、人間に精算を迫っている。環境活動家が騒ぐことが無くても、人間が賢明な選択をしなければ人類の未来はないというところまで追い込まれている。この選択を誤れば人類は滅亡するだろう。賢明な政治家、国の指導者が必要だが、知能が低く智慧がないようであるから期待は出来ない。選ぶ道を誤れば、自然が人間に勝つのは間違いないことである。謝罪の一言すら無かったニセモノたちは私が糾弾をしなくても自然がなんとかしてくれるだろう。自然 に神さまと自然が彼らを大きな自然のサイクルの中に組み込んで罪業の結末のバランスを取ってくれる。自然の摂理が裁くのである。私はもう一切手を下さなくてもいいのだ。