瞑想の極意❷

瞑想の極意についてはまだまだ書き切れない。瞑想を頭で考えようとするから他人を惑わす瞑想家が出て来る。調身、調息、調心 は禅の教えるところである。これでも情報が多すぎると思う。少林寺拳法でも練習後に瞑想するが、圧倒的に時間が足りない!私には物足りない、単に禅宗の雰囲気を演出しているように思われる。調心、心を整えるには最低一時間の瞑想が必要である。何故一時間か?と言えば、脳内の神経伝達物質であるセロトニンドーパミンオキシトシンの放出量が最大になる瞑想の最低最小の時間が一時間必要なのである。禅宗では接心と言って、一週間禅三昧、瞑想だけ行なう。禅宗の最大の特徴目的は座ることに尽きると言っている。我々尤氏長寿養生功の最大の特徴目的はリラックスと集中の二点に尽きる、と言えるだろう。リラックスだけすれば、イビキをかいて寝てしまい、集中だけすれば、緊張して力が入ってしまう。互いに反するエネルギーをひとつの行為にまとめ上げて、背骨をまっすぐに、感覚を研ぎ澄ましてリラックスする。集中とリラックスが同時に存在する身体を作る。今の私が集中とリラックスの相反するものを持ち合わせているので、祝詞奏上中に私が光に包まれるようになっているのではないだろうか?