動の極、静の極

尤氏長寿養生功の訓練修行の中で行なう震脚ジャンプと瞑想の二つが重要なものであるが、私は先輩達の行なっているこの二つを目前に見て、その極には達していないことを見抜いていた。そこで私は震脚の極に達するには、瞑想の極に達するとは?と自分に問いかけて極に至る道を探った。震脚ジャンプの最初は私は相当に脚が強い、とは思っていたが、実際してみると10回も出来ない。おまえの脚は弱い!と師母から言われてプライドが傷ついたのを覚えている。   震脚ジャンプは全身全霊で行なうから、初めから完璧に出来る者はいないが、毎日通った私は筋力がだんだんと強く大きくなってついには三十五回全身全霊で出来るようになり、一時期三十分もジャンプしてるので他の先輩たちがイライライラし始めたほどであった。静寂の極瞑想の極も同じことでどのようにして身体の内面、心を静寂の極にまで鎮めることができるかを考えた結果、呼吸に秘密があることを発見して呼吸をできるだけ静かにして深く大きくするようにした。動と静の幅があるだけ氣は強く大きくなることを発見した私はそのやり方を三十年続けたら、今の私が出来上がった、というわけである。動の極は静であり、また静の極は動である、という陰陽の哲学にも通じる体験をしたことも付け加えないといけない。動の極には精神は研ぎ澄まされた針の先になる感覚で繊細に、静の極も氣の波動がとても大きい宇宙に通じるエネルギーを感じて相手は私の瞑想時にはその氣を感じて身体は反応して空中へ飛び跳ねてしまったのである。私が最高最大に氣が充実していた時期に書いた書をアメリカから送ってもらったものを現在私の手にあるが、この書を見ただけである道場生は空中へ跳ね飛ばされたり、身体が動かなかったり、震えたり、さまざまな現象が発生した。とても氣のエネルギーが出ていたのであった。極に到達すると武術、医術、芸術などあらゆる術の源のエネルギーを保持できることを発見した。これを一日二十四時間保ちたいものである。