神人一致

先日の宝登山神社での光に包まれた体験で、私が神人一致となった、とは言えないが、Divine Unity,,神に近づき、神さまのような存在になるよう努力するのが人の理想の姿であるというのが神道の究極の段階、真言仏教の即身成仏と同じ境地であると思われる。神仏はそのエネルギーを人には向けているのだが、人はなかなか人のエネルギーが神に届くほどのレベルにはなっていない。私が神人一致となって神のレベルまで向上したと思うほど私は傲慢ではないけれども、私にできる最大限の努力を重ねて人の身体を治療して役に立つことができる、武術的に触れずに相手を投げるだけの氣を養成してできるように努力したのは、確実に私が言えることである。神さまのエネルギーと私の氣が私が祝詞奏上したことで結ばれていたのではないだろうか?と言うのが、私なりの解釈説明である。可視化して神さまが見せてくださったのだろう。生まれて初めてのことである。大本教の難波先生の写真では、何枚かの写真でカラフルな色が出ているのを見たことがあるのだが、自分の写真で見えたのはこれが最初である。この写真が最初で最後にならないことを願うばかりである。