私心無き祈り

私に神社で参拝中に光が降りて来て私が光に包まれた時には、私が私心の無い祈りをしていた時であった。尤氏長寿養生功を学んで、集中することと我欲をコントロールする教えを三十年の間にできるようになっていたからである、と思わざるを得ない。光に包まれたからなんだ!と言う者もいるかも知れないが、神道の信者である私にはこんな現象は聞いたことだけしかなかったし、写真で見せられたことが二、三回あるだけだった。私に生まれて初めて起こった出来事である。しかも二回連続で起こったのである。私には信じられないことで、私は自分で勝手に解釈してこれは神さまから祝福されている、と思わざるを得ない。毎日を楽しく嬉しく幸せに生きているだけで十分なのにこんなことまで見せていただき、ただ感謝の想いしか無い。大本教の難波先生から、氣は神のエネルギーである、と教えていただきその教えを胸に三十年も過ぎたであろうか?私の氣のエネルギーが神さまに通じたのであろうか?通じても通じなくとも、長年の訓練が光で私が包まれるところまで私の氣を高めることができたのを思う時、私に特別な想いが去来する。思えば、何も分からずに五里霧中の中での見習いの訓練から始まった修行は三十年を経て免許皆伝となり、尤氏長寿養生功の教授を許されて今日本に住んでいる。隔世の感がある。光に包まれた体験を胸に秘めて私はもうすぐ海外に向かって尤氏を発信する。またどれほどの苦難が待ち受けているのか私には知るはずも無い。が、神の祝福を得た私は安心して心落ち着いて困難に立ち向かうことができる。人だけのチカラには限りがある。神のチカラと一体化してことに当たれば楽に成就できる。一生懸命に人の成すべきことに専念して天命を待つ心境になると神と交流が出来、神さまのエネルギーを使わせてもらえたら将来には何の不安も無い。今日も私心無き祈りは続く。