人生は長く、人生は短い

私の父親は釣りと酒が大好きで、酒の飲み過ぎで五十三歳で死んでしまった。私の師匠である師母は百歳を越えて生きた。不摂生をすれば人生は短く、摂生をすれば人生は長い。私の父親が短くとも充実した人生を送ったかと言えば、そうではなかったと思う。師母は人生の大半を氣功と瞑想で過ごした。百歳を越えても、若い者に慕われ、若者たちを空勁で投げていた。若者たちに知識と経験を伝えることで必要とされていたのである。五十三で死んだ父親が知識や経験を伝えることは死ぬ前には出来ず、若者たちに慕われることもなかった。どちらが貴重で有意義な人生であるかは言わずとも理解できるだろう。私は師母に一番近いところで師母を見て来たので、師母に倣って摂生して残りの人生を精いっぱい、できるだけ長く生きたいと思う。そして百歳を越えても、若者たちを空勁で投げ飛ばすことを夢見ているのである。