何故尤氏なのか?何故氣功をするか?

最近良く考えるようになった。何故この氣功尤氏長寿養生功を死にものぐるいで全てを投げ出し生命を懸けて入れ込んでいるのであろうか?と。私の人生は最初の結婚でカネを得ることが唯一の目的であるアメリカで誰もがする当たり前の生活をしてその生活に空虚さを覚えて離婚を経験した。三度家を購入しても、毎日一番高いヒレ肉を食べていても、心の安心は得られなかった。安心を得ようとしても私自身と現実からは逃げることのできない自分が居る。どうせ逃げられぬのなら、自分の生きているあいだに私の身体を極限にまで鍛えて心に安心を得たい。

私が生きているあいだにこれを成し遂げたかった。そしてアメリカのカネが目的の空虚な生活から抜け出すことが出来てついに安心を得ることができたのである。勁空勁の習得はもちろんのことで目標のひとつではあったが、私の心を鎮める手段であったろう。生きていることに何か物足りなく感じていた私の心の焦りに尤氏は答えを提示してくれたのである。だから、尤氏を教えて自分の職業とすることには目もくれなかった。果たして今ではいつでもどこでも、誰とでも、仲良く会話を楽しみすぐに友達になれて朝早く起きて夜寝ることの毎日に幸せを感じる私が居る。とても不思議な感覚である。カネも持たず、とても狭いワンルームのアパートに住んでいながら、未来に夢と希望があり毎日に充実感がある。三十年間師母の教えを実行して現在に至った。ドクター尤老師、師母には感謝の心しか無い。毎日ドクター尤老師と師母には感謝の言葉を捧げている。毎日過酷な訓練を続けてハードな震脚をしていた時には、良い歳をして仕事もせずに何故こんなことをしなくてはいけないのか?もっと生産的なことがあるのではないかと思い、明日こそもう辞めようと思うことは何度もあったが、私の心身に毎日変化があり明日はどんな自分になっているだろうか?という興味が私を支えていたのであった。そのうちに勁空勁がどんどんできるようになって次のステージには何が起きて何が存在するのだろうという新しい興味が出て来たので辞める訳にいかない。その感覚は今でも続いている。進化を続けている私には神社での光に包まれる体験をしたり、私の心境にますますの多幸感を感じるようになって、とにかく生き続けるしか無いのである。良く生きることと尤氏長寿養生功は関係がある。と思うようになった。

尤氏長寿養生功は良く生きる為の手段であった。