完治が目標

私が以前通っていたデイケアの施設でもリハビリは当然あったが、どうも居心地が悪い。週二回通ったのであるが、同じことの繰り返しで膝の回復が遅く、私が興味も無いカラオケや五歳の幼児でもしないようなゲームで老人をあやすような内容に早々と見切りをつけて辞めてしまった。私の目標は早く身体を回復させて健常になることである。私がアメリカの私の治療院で目指していたことは早い回復と完治である。実際、初回の一回だけの診療で、面白いように回復、完治した患者は続出した。尤氏長寿養生功で培った氣を用いていたからである。私の治療院では氣の鍼灸であった。氣の鍼灸と言ったら、鍼灸を真に知る者には奇妙に思われてしまうかも知れない。気を駆使するのが本来の鍼灸だから奇妙に聞こえて当たり前である。それだけ、氣のことを知らずに治療している鍼灸師アメリカではほとんどであった。それも無理の無い話である。私が通った鍼灸大学でも、氣のことを知らずに鍼灸を教える中国人の教授であっても、最初の授業で氣の概念は説明するが、氣そのものを知らないし、氣の存在を証明することも無かった。身体のツボの位置とその名前を教えて鍼を打つだけのことである。十五分から二十分経って鍼を抜く。その時間で氣が全身の経路を巡るのがその理由だと教えられた。たったこれだけでは、治るか治らないかはギャンブル、トトカルチョになってしまう。捕瀉と言って氣を入れたり、抜いたりして氣を用いると確実に治るようになって、しかも治るスピードは早くなり完治するようになって来る。私には多くの完治実績の経験がある。治療の分野は幅が広い。どんな病気にも挑戦した。私のアメリカの中医のライセンスはアメリカ以外では効力が無いから無鍼で治せる整体を確立する必要性があった。二年ほど前に私のタヒチの友人がバカンスで日本を訪れた時に和歌山の高野山近辺を一緒に旅行した際に立ち寄った無人駅で見かけた五十肩で全く動かすことの出来ない中年男性と話をしていたら、見るに見かねて氣功と整体で治療してあげたら、その場で痛みは消失して腕をグルグル動かせるようになった。完治したのである。何カ月も苦しんだ、と言う。また熊本の講習会に参加していた国指定の難病指定頸骨紐帯骨化症の患者は耳の置鍼と氣功整体だけで歩くことができなかった脚は治療後、スタスタと歩き始めて翌日には私の手を引いて神社の長い階段を登って参拝して山を一緒に登ったのであった。そんなことがあって、太田式氣功整体は誕生した。鍼を打ったのは難病患者の耳にその患者を連れて来た鍼灸師に打ってもらい、私が氣を流したのであった。鍼を打たずとも小さな鉄球を貼っても同じ効果がある。アメリカでも日本でも、鍼灸界に氣を取り戻して整体の世界に氣を紹介して革命を起こしたい。西洋医学のクスリや手術と同じほどか、それ以上の効果がある場合もある。あくまでも、患者の完治が目標である。

私が主催する講習会に患者を連れて来てもらい、実際に患者を私の治療を見学しながら氣の治療を覚えて学習する形式となる。鍼灸師、整体師には目からウロコの太田式氣功整体の実際を学んでもらいたい。