共生

今回のウイルス騒動に象徴されるように、混沌として不確実な時代には、格差社会が起きて、共産革命を成し遂げた中国に虐げられる階層が出来てさらにまた革命が必要な状況になっている様相を呈している。人間の備わった性であろうが、あまりある食料とか有り余るカネを分け合い仲良く平和に暮らすことが出来ない。私の道場からも既得権益とチカラ、カネを独り占めしようとして、ハナクソの実力しかなかった者たちが許可もなく、勝手に自分の道場を開いたのであった。私よりも自分が凄いのだ!とでも言うような醜い姿を見せて、焦ってテレビ出演をしていた。その内容はあいも変わらず私の二番煎じである。私のマネしか出来ないソウケソウシハンは得意げである。見っともない姿を晒す原因は権力を独り占めしたいという抑えきれない我欲、強欲である。こんな時代に必要なものは、相手を尊重する心と争いを起こさない共生で共に生きるおだやかな心を持ち平和な社会を作る意欲ではないだろうか?私が来年移住しようとしているタヒチの島はまさに共生の島である。あまりあるフルーツや魚をみんなで分け合っている。弱肉強食の日本の社会とは隔絶された社会である。共に生きられない日本の社会ではどうやって他人を出し抜くか?ということばかり考えている者が多い。情け無い社会と言えよう。幸せを、カネやモノをどれだけ持っているかという基準で評価する、真の幸せにはほど遠い。そんな卑しい者たちをいやと言うほどこの五年館で見て来た私がタヒチに行きたくなるのも当然であろう。チンパンジーでさえも共生の心を持っているのに人間がチンパンジー以下の知能と欲望で見苦しい行動をする。真の人間性は何処に棄て去った のであろうか?共生の心で私はタヒチで平和に共にタヒチアンと生きていきたい。