イジメ ❸仲間外れ

日本のイジメで起こる仲間外れは、昔日本の村で行われていた村八分に起因するだろう。昔の村八分では罪を犯した者や村の風習、慣習に合わぬ者をターゲットにして村人全員が冠婚葬祭に関わらないようにする人為的な罰を与えることである。現代において学校で起こるイジメの仲間外れは現代における村八分である。ひどい時にはヤクザまがいにカネをせしめて犯罪を犯すこともあるようだ。遊び友だちから仲間外れになることは辛いことだろう。が、こんな卑怯者たちが現れたら、こいつらとはちょうど良い別れの時なのかもしれない。さっさと離れて、もっと自分が学べる自分が向上できる人を友だちにすべきである。こんな仲間外れにするような者たちは自分の人生には用の無い人間たちだ。仲間外れになるのは決して悪いことではない。一人になると自分の時間がたっぷりあって勉強する時間ができる。心身を鍛える時間もできる。自分が弱いことが原因だが、異色であるから仲間外れにされると思えば良い。異色であることは他人と一線を画すということで、外国では評価されることである。それは自分の個性で自分の主張であるから外国では自分の主張は良いことで歓迎されることなのである。私が日本で誤解されるのは私が自分の意見を主張するから、出る杭は打たれることになる。イジメや仲間外れの原因となる。孤立することを怖れてはいけない。孤立は孤独ではない。孤高と思えば良い。私も尤氏の道場では仲間外れにされたのであるが、どうせ先輩から教えて貰えることはガセネタで、全く逆のことを教えて私の上達を阻止しようとしていたのでますます師母との一対一の訓練に精を出した。私を陰に陽に葬ろうとした中国人の男は中華街で心臓マヒで死んでしまった。真面目に真剣に訓練している私にこんなイジメや嫌がらせをする愚かな者には罰が与えられる。イジメをする者の最後には哀れな結末が待っている。仲間外れは好機と言える。自分という人間を知る良い機会となる。私の道場から出たニセモノたちも私を仲間外れにしてイジメようとした形跡がある。どんな結末が待っているのかは言うまでもなかろう。