カネか幸せか?

アメリカでも日本でも疑問に感じたことがある。人間は何の為に生きるのであろうか?と言うことである。どちらも体制上は資本主義だから、何をするのもカネが必要で利益の追求があるのは当然だが、日本はまだしも、アメリカの国内事情は日本人が想像する以上に資本主義が極端に発達してギスギスして毎日を生きていかねばならない。カネへの欲望は凄いものがあって、知り合いの子どもの夢はミリオネアになることだと言う。まだ十歳にならない。日本人の子どもたちの方がまだ子ども心があるかもしれない。私はアメリカが好きでは なかった。私の息子も母親からお前は医者になってカネを儲けろ!と生まれた頃から洗脳されて、一度私が病気になってしまったらどうするか?と尋ねると私のワイフは、老人ホームに送るから心配しないでいいよ!と言うのだった。その時から逃げることを考えた。私に高額の保険をかけて、私が死ぬのを待っている感覚があったし、離婚して保険を解約した時には声をあげて怒るのだった。健康のことは考えずに飽食して食べるだけ食べてから太りたく無いからトイレで吐くような人間である。今では息子が医者になってオフィスを三軒も

持っているので、カネ持ちになっているらしい。しかし、幸せになっているかどうかは分からない。カネがあれば、幸せになるのであろうか?カネに顔を向けて生きれば良いのか、幸せに顔を向けて生きれば良いのか?カネの為に生きるのか幸せになる為に生きるのか、答えは初めから出ているはずである。ライオンはお腹が一杯になると獲物が側を通っても襲うことが無い、と聞いたことがある。人間だけは少しカネを持つともっと欲しがって他人を蹴落としても法を犯しても構わないと思うようである。必要以上のカネを持つともっと欲しくなる。アメリカで見たカネの亡者と日本の亡者は似た者同士であった。私が尤氏を習得した後に日本で道場を開いた時 にたくさんの道場生が集まったのも、初めからカネを儲けようと思っていた訳ではなく、私が尤氏の訓練をした後にとても幸せを感じたので、他人も健康になると幸せになる秘密秘訣を教えてあげたいという気持ちの方がカネを儲けることより勝っていたのであった。

カネばかり追いかけていると心を失う。私の道場から抜け出て盗んだワザを教えている者たちも心がもっとあったならば、私がこれだけ騒がなかっただろう。法を犯しても、他人を蹴落としてもカネを得ようとする行為はとても醜いものである。幸せになる為の尤氏がカネを儲ける為の尤氏となる。私がテレビに出演したので、マネしてテレビに出て生徒を増やそうとする。とてもあさはかであさましい。 幸せになる為の尤氏がカネを儲ける為の尤氏になっている。ドクター尤老師と師母がカネを儲ける為に尤氏を教えていただろうか?そして私は消滅しかけていた尤氏を復活して、尤氏を世に広めて文革で傷ついたドクター尤老師の名誉を回復する目的を持つようになった。カネを持つと幸せになるのか、幸せになるとカネが集まってくるのか?師母を長いあいだ見て来た私は武術に対する考え方がすっかり変わってしまった。強くなる為の武術ではなく、健康と長寿と幸せを目標にして訓練をするのが武術である、と思うようになった。その欲は正欲であって、強欲私欲ではない。生きていくのにカネは必要だが、カネを得ることが人生の目的ではない。人間は幸せになる為に生きる。カネの奴隷になるよりは、幸せの奴隷に私はなりたい。タヒチを経由してヨーロッパに進出するのも私が幸せになる為である。