あきらめない精神力

島国で四方を海で囲まれた日本では良く船が遭難して漂流者が出て漂流記を書いている。テレビのドキュメンタリーを見て思うことがあった。重吉と言う船乗りが江戸へと向かう途中で嵐に出逢い、四百八十日も漂流してアメリカ西海岸の沖合まで流された。多くの船乗り仲間は死に絶えて自分一人が残された。もう死を迎える なら、首を吊って死のうと決心した時にアメリカ船に救助される。人間はあきらめた時に死が訪れる。何回も言うが、私にも絶対絶命の危機があったことはすでに述べている。私の少林寺拳法の師匠に当たる人は私を紹介する時に、「コイツは足で踏んづけても、踏んづけてもまた立ち上がって死ぬことのないヤツだから!」と憎々しげに私の顔を見て言うのだった。当時から私はそんなように思われていたようである。私の経験では、諦めない者は最後にはチャンスが訪れる。良く出来ているしぐみであるな!と思う。たびたび訪れた危機を脱出できた後には苦労が報われるらしく、比べものにならないほど良い状況になる。あんなに心配して、どうしよう?どうしよう、と悩んでいたことは何であったか?と思い 悩んで損したと思うほどである。重吉の話に戻るが、彼はアラスカからエトロフ経由で日本に戻った。途中手に入れた原住民の熊の毛皮で出来たコートや日用品を当時の日本で展示して、漂流記も書いてお金を貯めて死んだ仲間たちを供養する為にお寺を建立して霊を慰めたと言うのである。人は何かの役目を背負って生かされる。この重吉は死んだ仲間たちの霊を供養して慰める為に生き残されたのではないだろうかと私には思えてならない。実に遭遇後、六年ぶりに日本に戻って来た。私は四十五年振りに帰国した のであるが、私の果たす役目、使命は帰国前から決まっている。執念とも言える諦めない精神力は鬼神もこれを避けると言われ、最後にはチャンスが訪れる。万事ものごとを成し遂げようとする前に見えない心である意念、頭の中にある設計図を姿形に変えていくと万事は成就する。成功するまで、成し遂げるまではあきらめない精神力が必要だ。何度踏んづけられてもあきらめない私はコロナウイルスから生き延びて、世界へと向かう予定である。