霊止(ヒト)として武術家として医師として

 日本とアメリカを何十回となく行き来した私の人生には葛藤があり、尤氏長寿養生功と関わりを持ってから、ギリギリのところでアップアップの状態で溺れそうになりながらも生き長らえて来た。私の信じる大本教では、人のことを霊止と書いてヒトと読ませている。武術家と自分では思ったことも肩書きに書いたこともないが、一応五十年も関わって来たら武術家と言っても支障はないだろう。また中国医学中医としてアメリカで三十年に及びオフィスを運営していたので医師であるとも言えなくはないだろう。それで私は霊止として武術家として医師としてどのように生きたら良いのだろうと悩みながら生きて来た。二十五年ほど前に不用心に信用して私のカネも時間も道場も移譲して私が持っているべきものを渡してしまった結果、一時期奪われた形になってしまった。これもひとえに私の不徳のいたすところである。だから文句を言えるスジ合いではないが、その責任は私が負うべきものと考えて誠心誠意私にできることを全てやって来た。それがあって今に至っている。私の英語の能力で築いて来た国際的な人間関係は、アメリカだけでなく、ヨーロッパへの足がかりとしてタヒチにも広がり Covi-19から生き延びることが出来た後にはタヒチ移住を実行する予定計画である。ウイルスに感染して計画が頓挫するなどとんでもないことである。より一層、手洗い、消毒、外出時にはマスクをするなどを励行して予防に努めなければならない。武医一如として武術と医術の境界は無いとの観点から、医師を三十年ほどしていた経験から自分自身の行動を律して来たつもりではあったが、なにせ、生まれつきの怠け者でチャランポラン な性格が表に出て、人間関係に気まずいことがあったのは事実である。しかし、こんな性格でもないと尤氏長寿養生功 を習得することなどは出来なかっただろう。毎日七時間三十年の修行に耐えて なお、ワザをさらに深めて自分 の境地を開拓することなど私の性格でなければ氣が狂い、何処かで息抜きせねば、私は人間として破綻していただろう。まさに崖っぷちに立たされてタイトロープの上を渡り歩いているような心境であった。転落しないで来れたのは霊止、武術家、医師として私が持っていた矜持があったからである。今回のCo vi-19は世界の人々の生活様式や社会を変えて行くだろう。これから、ますます我々の道場に現れたニセモノたちのような人間が楽をしようとしてさらにニセモノたちが増えるかもしれない。私は人生の晩年に立たされているが、タヒチ、ヨーロッパへの進軍を続けていく覚悟である。あまりに生真面目に人生を歩めば、私の愛した妻のように死期を早めてしまうだろう。死の数日前に妻は弱音を吐いて、生きることをあきらめていた。そんなものを見るにつけ、私のチャランポランな性格が私をこれまで生かして来たのではないか?という感慨にも似た想いがある。ある時には弦を張り、ある時には緩めて最高最良の音を出す弦楽師のように人生を生きていくようにせねばならないと思うのである。幸いにも、奪われたものの全ては取り戻してはいないが、再構築した私はまだ元気である。世界に挑戦する気迫と情熱だけは残っている。あとは、実行あるのみである!