立って半畳寝て一畳

私が今まで住み慣れた1LDKのアパートを出て近くにあるワンルームのアパートに住み始めてから三カ月が経った。とても人が住めるとは思えぬほどの狭さで、トイレもあまりに狭いからちゃんと真っ直ぐに取り付けられずに角に角度を変えて取り付けてあるし、台所も無い。が、今までの家賃に比べると毎月二万円ほどセーブできるので、経済的に余裕ができて快適に過ごせている。自宅での自粛生活でジッとしているだけでまるで刑務所生活のようではあるけどもテレビを見てスマホをいじっていろいろと勉強できるから、刑務所よりは自由があって、好きなものも食べられて少し体重は増えた。別に犯罪を犯してこの狭いアパートに住んでいる訳ではないので自由であるのは当たり前だ。毎日がさらに楽しくなっている。一日中ベッドの上にいるだけの日もある。でも心が自由でアパートの狭さに比べると心はずっともっと広々と執着は無い、とは言えないけども執着が少ないから毎日が楽しくて嬉しく快適である。アメリカにいた時には人も羨むほどの交通の便が良い新品の家に住んで二部屋あるコンドミニアムであったので、少しムリしたかな?と思ったが、少し贅沢な作りで今のアパートと比べると月とスッポンである。しかし別に昔が良いとも思わない。アメリカでは三、四回ほど家を購入して庭にテニスコートを作れるほどの家にも住んだことがある。

色即是空と言って仏教では物質には実体が無く幻である、と説く。私は、アメリカ人が住めば人間が住む所ではない所に住んでまるで天国のような気分を味わっている。どっちが本当の自分であるか?と聞かれれば、仏教的に言うと苦しみが少ない分今の私は幸せだから、これが私の本当の実体のある本人ではないかと思っている。良く考えたら、人一人が生きていくのに寝るだけで一畳、座って半畳のスペースで十分だ。外食が減った分食費にはいくらもかからない。これで治療をする仕事ができると超リッチな気分になるだろう。タヒチに行って仕事ができるから、仕事がある分で私はミリオネアになった気分になるだろうと思う。諸行無常の教えを知らないニセモノたちは夢と幻だけを追いかける人生になっていると思うに難くない。