与えられたものを正しく使う

尤氏長寿養生功を三十年間訓練して気づいたことがある。私には才能と呼ばれるものは何も無かった。もし才能と呼ばれるものがあるとすれば、それは毎日好きなことを愚直に同じことを繰り返すことができる意志と姿勢を持っていることが才能の中身、本質であることを発見した。その才能を駆使して得たものを正しく使うことがその後に課題となる。私から特別に簡単に人を投げる秘訣だけ習って、私のマネをしてテレビに出て全く同じ内容の勁空勁を披露して得意げになった者も実際いたのではあるが、正しい目的の為に勁空勁を使ったとは言えない。自己の利益と売名が目的であったからである。自利の為にすることは多くの人には受け入れられない。今も前にも私の人をテレビ番組で投げる目的はドクター尤老師の名前と業績が文化革命で辱められたのを才能の無い凡能の私でもテレビに出て初対面者にも勁空勁をかけることができることを証明してこれほどのことを日本人である私が学びできるようになった事実を見せることでこんな凄い中国の武術家が存在していたのを知らしめる為である。一時期私が五百名ほどの道場生を持っていることを垣間見て、これは儲かる!と思ったらしい。カネにしても、モノにしても私欲と結びつくと汚なく見える。与えられたものを公欲の為、社会の為、人のために使えば意味あることになるのではないか?クセの悪い武術家には馬耳東風となるのであるが、、、。