即身成幸

真言密教を日本で確立した空海と私を比べる気持ちはさらさら無いし畏れ多くてそんな傲慢な心があるはずも無い。真言密教の真骨頂理想とするものは生きているあいだに仏となることである。空海さんも修行した密教の瞑想は千二百年前も現在もその中身は同じであるはずである。三十年間毎日瞑想を続けた私はその結果として無上の幸せを手に入れることができた。凡庸な私が幸せになれたのだから私以外の人が同じ瞑想をして幸せになることはできる。仏に成らずとも、幸せに成ることができる。即身成仏ならぬ即身成幸と言いたい。生きているあいだに幸せになる。楽しくて楽しくてしょうがない。ワクワクする毎日である。私の師匠である師母を亡くし、私の妻ももういない。また一人になってしまった。でも今の私には心を通わすことができる道場生と新しくできた手かざしの団体の先輩たちがいる。最近では新しい出会いの人との会話を楽しんでその輪は拡がっている。新しい尤氏長寿養生功の拡がり方が始まっているのである。今まで武術の意拳が源流である関係上、基本功や私自身が師母から完全なる氣功武術として習ったこともあって武術的意味合いが強かったので殺伐としたエネルギーが溢れていたに違いない。今では養生功としての癒しと治療のエネルギーに溢れている。その氣のエネルギーが思いやりと優しさなどの良性のエネルギーと融合して今の幸せにつながっているのではないか?と思われる。私の選択は間違っていなかった。即身成幸になるよう一人でも多くの人に尤氏長寿養生功をお勧めしたい。