自得のこと

最近の若い者は、などと言うと旧い頑固なジーさんがまた何か小言を言いたいのだろう、と思われるかも知れないが、学校でのお勉強に慣れているから一から百まで教えられるもの、と思った大学を滑り続けたオトコがそんな考えをしていた。私は師母から全てを習ったことが無い。見て覚えて、壁を何十万回となく押し、氣を感じるようになった後からただ、ただ震脚を続けた。立禅と座禅は一時間づつ毎日朝晩二回していたのはもちろんのことである。千日回峰の荒行と言うものがあるのをご存知だと思う。十年かけて山を走るように毎日歩く。私の場合には三十年かけた修行であった。震脚は二十年で七百二十万回を数えた。単なる縄跳びのジャンプでは無い。全身全霊のジャンプである。この修行をしたら膝を壊すのは分かっていた。脚一本と引き換えに勁空勁が習得できるのならそれも良いだろう、と腹を括って取り組んでいた。少しずつ先輩達を押すうちに相手の反応を観察すると何か変化を見るようになり、海外に行っては勁空勁を試してみたのである。ある時たまたま行ったタヒチに於いて、私の肩を叩いた日本人男性は私が振り向いた途端に後ろ向きに走って仰向けに倒れてしまった現象を見て、あ、そうか、このことを師母は教えようとしていたのだ!と気づかされたのであった。アサクサと荷物をまとめて、サンフランシスコに戻り興奮して練習に戻って毎日の修行を再開したのである。その後でも自分一人で研究する修行であったが、基礎訓練が私にチカラを与えてくれる、と分かったからますます練習に励んだ。師母の為すこと全てを真似してひとつひとつの動作を覚えていった。それが伝統の引き継ぎなのである。師の背中を見て覚えて行く。これに尽きる!全て自得である。私から初歩の空勁を習った者は秘技の全てを私から習ったと言っていたが、それは大ウソである。自得するのが正しい尤氏長寿養生功の修行であった。